第2章  持続可能を目指して


(1) 持続可能への出発に向けて

日本は、どの様に変わってきたのだろうか。その社会環境の変化によって、“幸せ”はど の様に存在していたのだろうか−より理想の生活スタイルを求めるための拙い一考察である。

洞穴生活 動物と似た感覚は、まだ持ちあわせていたであろう。
竪穴住居 コミュニケーションのために言語が発生した。論理的思考 (左脳)の始まりだ。紀元0年には日本の人口はすでに100万人を数えていたといわれる。
外国文化 中国、朝鮮それらを通じての外国の文化。4〜5世紀。人口 は400万ほど(日本の国土の80%ほどを持つNZの現在の人口と同じ)。
日本文化の開花 5〜11世紀。あこがれと独自のものを築く努力。人口増加 の勾配が強く、400万から倍増し、1000万人。
戦国時代 混乱、勝者の正当化。当時のインテリは戦国時代に向かうと き、どう反応したのであろうか。この間、あまり人口増加はなく、15世紀まで1000万人のまま。
封建時代 保守、大衆の利用、個人主義の否定。
江戸時代 種々の庶民文化が発生している(どの様な背景だったの か)。人口4000万人に届く。これら2つの時代においては、もちろん有機農法による食糧生産をしており、ある程度、持続可能を確認しながらの人口増加 だったろう。
明 治維新 外圧による国の解放。19世紀には 4000万人、その後急 増し、100年間で1億3 千万人に。外へのあこがれ。工業化のあけぼのとそれへの移行。その人口の急増は、特に、工業化が持続可能に対して錯覚を与えた結果のようだ。失われて行く 日本文化、その間、日本固有の文化は衰退していった。社会が物質主義へと変わってしまった。
第一次大戦 軍力の台頭
第二次大戦 傲慢さ+アメリカの戦略。
物質文明を求めて、直線的に進む−精神的な崩壊、堕落が進む。バブル崩壊−精神的堕落のみが残る。
(人口の推移は、あるとき の建築雑誌の座談会の中に記載 されていたグラフを参照させて頂いた。)

人に労働を課せたのは、封建時代は人間だった。それが機械に変わったことと、職業 の一定の選択ができたことで、不満感、不快感が 減じたのかもしれない。し かし、その裏で人間が操っていることに変わりはなかった。このように振り返ってみると、現状は、自身がエコノミックアニマルとしてきっかけを作り、アメリ カとともに進めるグローバライゼーションにまったく染まってしまったといえよう。
エネルギー使い放題、地球環境のことなど考えも及ばない。Vernacular=風土主義、それが生んだ日本でのわびとさびをこ とごとく忘れている、コンクリートの箱の中で。今も変わらない、他人を利用するHierarchy(社会構造)。がんじがらめの社会だ。
さて、どの時代が比較的幸せだったのか。それをどの様に進歩させるか。人生68年、自然への崇拝とあこがれを持った子供の頃が もっとも幸せだったと思える。何故だろう。
冷静な将来への予測と、それを目指した実践が必要かつ大切な時だ。具体的にいろいろと考えてみなければならないと思う。どこかで 触れたと思うが、 “ミネラルウォーターを片手に新鮮空気を詰めたボンベを背負って”の時代はもうすぐそこに来ようとしているの だ。
化石エネルギーが汚染のみを残して、枯渇することは明らかに分かっている。しかし、建築時に膨大なエネルギーを要する大きなビル を建て続け、完成した建物 の中では毎日莫大な量のエネルギーを使い続けている。そのことについて何等議論がまき起こらない。エネルギーの枯渇は、開発途上国も同様にエネルギーを使 いだした現在、加速度的に消費量は増し、その日は突然やってこよう。その時はきっと大きな混乱に落とし込まれよう。その責任を人に課そうと、口汚くののし り合う様子が想像できる。その時、すでに弱くなってしまった生存への免疫力は、さらに失われ、人間の価値観はどんどん低落し、差別も益々強くなってこよ う。
このような現状を許してしまう今の社会体制は、どの様に手を付けて、改革して行くべきか、その手法は見あたらない。あまりにも、 人に依存しすぎているこの 社会では、枠の中にはまってしまい、あるいははめてしまい、人を利用しあう社会になってしまっている。やはり、持続可能型の生活様式を確立することから始 めなければならない、と私は思う。自分が、個人が、初めて解放されると言う原点が必要だ。
誰かが、新しいエネルギーを見出してくれるであろうと言う考えもあるが、それは現在の退廃的思考の延長線上にあるにすぎないし、 そのエネルギーの下に、人 間を利用しあうヒエラルキーを再び作ってしまうことになろう。自然との接点がどれほど素晴らしいかを思い起こし、そこからの再出発を原点にする必要があ る。
その議論を発展させてゆく過程では、数量で表して、主張して説得して行かないと、経済力に押し流されて、不毛の議論になってしま おう。丁寧な測定、分析を し、そのシミュレーションを行い、定量的議論をしっかりしておく。しかし、それらの結果はあくまでもシミュレーションであり、生活計画にあたっては十分そ のことを認識したうえで、それを用いて豊かな自然と共存するべく、計画したい。そこでの楽しみは計り知れないと信じ、感じながら。

太陽エネルギーが全てという。太陽が消滅するとは、時間軸上の概念でどの様なことなのか。また物理的にはど の様なことなのか。そ して、それが崩壊するとい う時点で、人間が生きるとはどの様に位置づけられるのか。もし、その時まで生きのびられるとすれば、きっと新しい哲学が見いだされ、次の空間を見いだして いるに違いない。
持続可能とは、自然から全てを与えられる(自給自足のみではなく)というだけでなく、自然を汚さずにそれを維持しつつ、太陽が滅 びるまで地球上に生きとおすということだ。そして、魂の次の空間、死後の世界への飛躍を考えることにある。
持続可能とは、太陽のエネルギーをどの様にうまく、一つの生命体の生存とその一生に取り込み、サイクルをきれいに閉じる(一人の 人間が一生を終える過程で、地球に害を残さないという意味)ことが出来るかとも言える。
持続可能とは、物理的に自然に負荷をかけないで系を閉じる、その様な場を維持して行く行為と定め、太陽エネルギーの消滅まで、人 類が生きることを目指すこ とに対応するが、それはあくまでも狭義の定義である。その間に、人間は精神的な発展を遂げ、次の空間へとその展開が広がっていくことと位置づけ、広義な意 義を求めていかねばならない。いずれ太陽も消滅し、地球も消滅するのだから。
人間のどん欲さと戦うとnegativeのままである。環境ホルモンはその結果の話。従ってそれを解決しようとしても、持続可能 な場の確立以外の手法で は、悪循環を形成し、negativeとなってしまう。人間が作り出してきた悪の道での戦いになる。GEもViciouscircleを作っていくことだ ろう。それを繕う方法を見出しながら、決定的に元に戻せず、歪んだままの社会にしていってしまう。美しい自然が得られる中に“生きる ”ことを求める−ここで初めて、positiveな創造性が得られよう。自然の複雑な仕組みを観察して、その中 に入っていく。そ れに付随して生じる疑問や関心が新しい科学だ(必ずしも解かなくてもよいが)。
この章では、第1章で得られた知見などをもとに、今後の生き方への展望をしてみたい。

1−1)太 陽エネルギー取得の開発
地球上に1年間に降り注ぐ太陽エネルギーは、1.21x1017ワッ ト時。地球のエネルギー消費総量の15,000倍に相当する。 日本でみても、陸地だけで日本のエネルギー消費総量の100倍。200海里の海まで含めると、その1,000倍の太陽エネルギーが降り注いでいる。また、 変換効率5%−普通の植物の光合成によるエネルギー変換率は4.7〜4.8%といわれる−で、世界主要6砂漠の 総面積の10%を 覆えば、2020年の世界の予想エネルギー消費量を賄えるといわれる(堀米孝:科学朝日1991年3月号p16)。太陽エネルギー収得の更なる研究の必要 性が理解できる。
植物がこの5%の光合成効率で太陽エネルギーを取り込んでも、それを食物として取り込むと、人間が多くを吸収するので、その後、 すなわち、糞尿をバイオガ ス化するとなると、相当な量が必要になる。それら植物を直接セプティックタンクでバイオガス化するほうが多量のエネルギーが得られことになるが、それを人 間が集めねばならないし、ガスのエネルギーへの変換効率も考えねばならぬ。動物に委託するのもひとつの方法だし、堆肥にすることも不可欠であり、それは別 のエネルギー利用だ。
人間が食べるという事は、大きなエネルギーの収集行為だ。食事における食品の一つ、米を例にとって考えてみよう。お茶碗1杯に 1.5株の稲、1日2杯として3株、1年で1,095株、1m2に9 株として121m2と いう大きな面積から、単に米のみを得るのに要している。農作物を作ることは、光合成を介して太陽エネルギーを集積させていることであるが、何と大きなエネ ルギー消費だろう。そして、食べて消化されなかったエネルギーを捨てていた。大きい量ではないが、毎日一定量、安定して得られるエネルギー源という見方が 必要だ。
Tintinという名の羊を7ヶ月飼って、その糞の一部を集めて浄化槽に入れる試みをした。人糞よりカロリーが多いように思え た。消化する過程が大きく異 なっているのだろう。他の家畜についても、それらの量的な評価をすべきだろう。何故なら、他の生き物との対話は、自然を理解する一部であり、実用的には、 草刈と浄化槽へのエネルギー供給、羊の場合は羊毛まで残してくれる。なお、羊毛については、毛糸として使う以外に、その処理法も検討しておかねばならな い。分解が簡単に行われず、捨てることは薦めにくい。
尾関式浄化槽からのバイオガスは、メタン60%、炭酸ガス40%を含み、1気圧で脱臭剤を通さない前は、4,500kcal/m3、 通すと炭酸ガスも吸収するので、6,000kcal/m3の カロリーになる。糞尿や生ごみの投入量と、使用したガス量との統計をとりつつある。その関係がはっきりすると、一人の人間の1日に捨てる有機物と発生バイ オガス量の関係がわかる。
砂漠化された土地において、光合成を利用して、よい循環系を作り、すなわち、水をそこで作り出し、緑の育成と循環させれば、砂漠 化を徐々にではあるが克服 して行けるかもしれない。この様な場所で、空中にぶら下げた円筒型の風車(風の方向性に強く依存しない)で発電し、その電力でヒートポンプを運転し、空中 の水蒸気を集めるべく実験している人と話したことがある。その後どのように発展したかは知らないが、一考に値する考えだ。
雑草から燃料を得るのに、メタンガスをとる方法と、固めて酸素と接触する面を少なくしてゆっくり燃やし、台所でも使えるような工 夫なども可能であろうが、それよりも木を育ててエネルギーをとるほうがよさそうだ。
冬至以降、日照時間が増え、太陽高度が上がることで、地球で受けられるエネルギーは確実に増える(地球の熱容量が空気温度の上昇 を遅らせているが)。太陽 からの直接のエネルギーをとる限り、冬至がマオリの人達が云うように、春の始まりだ。(Matariki、Pleiades、スバルが彼らの新年の星とい う。)地球の影響(熱容量)を受けた季節設定は、それが各地で線形的な繰り返しをすることもないし、それに人間生活が大量のエネルギー消費をしているか ら、結局、気候の予測は不安定になり、必ずしも一定のパターンは期待できない。このことからの動植物への影響は当然大きく出るし、人間生活にも影響してい る事実は周知のことである。

種々の太陽エネルギーの利用法を、第1章の住宅計画各論の項で検討してきたが、この実験住宅での経験からま とめてみると、次の様 になろう。

   ※太陽エネルギーの直接収集

             (1) ソラーオーブン
             (2) ソラークッカー
             (3) 2次元反射鏡による集熱
             (4) 天空日射の集熱
             (5) 多孔質材による集熱
             (6) ソラーパネルによる太陽熱集熱システム
             (7) Sterling Engineによる発電(温度差発電)
   ※草木を利用してのエネルギー収集
             (8) 燃料木材の育成(Coppice)と炭化
             (9) 浄化槽によるバイオガス
             (10) 菊湯
   ※自然現象の力を借りてのエネルギー収集
             (11) 風車発電
             (12) 地中熱利用
   ※住宅計画における積極的太陽エネルギー利用

いろいろなエネルギー収集の手段を考える前に、なんと言っても、住宅計画における太陽エネルギー利用は最優 先事項だ。家の向き、 屋根の勾配、開口の位置や 大きさ、壁の仕上げ、などを検討し、その地の気候によってはクールチューブのシステムも導入し、1年を通じての室内気候の予測から始めねばならない。その ためのコンピュータープログラムも実用段階にある。
料理用には、主として、(1)(2)(8)(11)(ただし、強風時)が主役を演じよう。殊に(8)は貯蔵も出来るので都合がよ い(クッキングレンジを作 るときはWetbackを上に作り、エネルギーを無駄にすべきではない)。(9)は炭火の火付け用に主役を与え、動物達(鶏、羊)の協力でそれ自身も使え るかもしれない。そして、先に述べたように、酵素を生かすべく生で食べることで、多くのエネルギーの節約になろう。
(6)は1.8mx2.4mのパネルで、一人分のシャワーや皿洗い用の温水が1年中賄える。枯れ木、落ち葉、Kikuyuなど雑 物を暖炉で燃やしてやれ ば、パネルを少し大きくし、節約を徹底すれば、4人家族でもやれそうだ。大きくはないが、曇天日でも天空放射も得ていよう。これは第1章の実験ですでに示 した。しかし、実際の計画では、室内気候と結び付けて過渡応答を含めた計算に乗せる必要があろう。あるいは種々のケースを計算で検討しておく必要があろう (冬の曇天日の利用法など)。
(11)、そしてうまく完成できれば(3)と(7)による電力を上乗せして(やせたい人は自転車をこぐこともよい)、情報伝達の ためInternet接続 のPCに、第1番に使われねばならない。そして、小さな冷蔵庫と夜間の照明にも供せよう。この実験住宅では、地下室に多くのものが貯蔵できるし、作物は出 来るだけ畑においておくことで貯蔵と同じ効果が得られるが、最小の冷蔵庫は必要である。
2005年4月、リビングの天井をしっかりと断熱にした。薄い天井はあったが、熱貫流は大きく、通気用の隙間からも多くは逃げて いた。同年の冬、リビング は14℃以下にならなかった。地下室との換気口は、冬季は閉めているが、床を通じての熱貫流はまだ生じている。暖房には、ソラールームで蓄熱し、ラジエー ターに循環してやる方法はぜひ必要だ。現在、東壁内面は木舞のままだが、土壁を塗って気密にすると、計算では0.6℃上昇することが分かったので、土壁を 施工する方向にある。ソラールーム上部の熱気をダクトで地下室まで引き、家屋内で循環し、空気を利用したThermo−siphon も試して みたい。すなわち、ソラールームに落ちるエネルギーを全て居住空間へ運びたいと考えている。皮肉にも温室効果の利用だ。
2005〜6年の夏は、天井の換気口はつけないで、地下室から1階への熱伝達による冷房のみに頼ってみたい。
(10)はリラックス用としてやってみたいが、決してという意味ではない。
現状から推定する料理用のエネルギーとしての利用順位は

              (8)燃料木材の炭化
              (1)ソラーオーブンと(2)ソラークッカー
              (11)風車発電
              (9)浄化槽によるバイオガス(炭の種火として用いる)

となるが、年間を通じての変動を上手に利用し、エネルギー不足の時にそれを緩和する方法をよく考えていかね ばならない。

風が強くて太陽燦々−風車発電+ソラークッカーとオーブン+Sterling Engine。
風が弱くて太陽燦々−ソラークッカー、オーブン+Sterling Engine
これらは相補的と言える。
これらはEcologicalなものと工学的なものを共有している。それらを両極にして並べてみると、

Ecological (13) (8)(9)(1) (2)(12)(6)(3)(4)(5)(7)(11) Technological

人間は、いったいどれくらいのエネルギーを消費しているのだろうか。食べ物として 平均2400kcal/day/per取り込ん でいるとして、多くは生命 体を維持するために使われるが、100〜150wattを放射しているといわれ、多くはないが糞尿としてもエネルギーを残している。
太陽−農作物(食べ物)−人間−エネルギーとして空間に返すもの −自然エネルギーに返し、また人間生活 へ。この流れをエネルギー消費の系としてとらまえ、量的な評価をして、どの様に太陽エネルギーで賄えるかを考える。持続可能な生活におけるエネルギー的系 の丁寧な計算をしてみる必要がある。人間の生命の維持だけではない。それを入れる器(住宅)、移動、運搬の手段、日常用いる器械も加えて考えてゆかねばな らない。
さらなるエネルギー取得の方法や議論は尽きないと思う。年においては北半球と南半球が、1日においては表(昼側)と裏(夜側) が、エネルギー交換し合えれ ば、太陽エネルギーを効率よく利用できるのだが。On-off的でなく、連続的に移行させる手はないだろうか。そのためには、蓄える手段が大きな役割を持 とうが、面白い課題だと思う。雪や氷を夏まで蓄えたり、夏の熱を岩石や水に蓄えたりと。

民生用エネルギーの主たるは、冬の暖房のエネルギーといえよう。先にも触れたが、冬のソラールームから暖か い空気を、ダクトで住 宅内に循環させ蓄熱する方 法と、ソラーパネルと同様のものと蓄熱層をソラールームでThermo−siphonさせ、その蓄熱された水をパイプでリビングのラ ジエー ターへ循環させるという方法も、施工上の優先順位がある。ソラールームに与えられる太陽エネルギーを最大限活用すると、どれ位になるのかということだ。

エネルギーを得る議論だけでなく、それをどう節約して使うかは大きな課題だ。以前から料理の方法について、 無駄にエネルギーを使 わない方法を検討してき た。沸騰後の弱火での料理過程に変えて、断熱した容器に入れる。コンロの上での回りに逃げる熱はスカートをはかして逃がさない、の2点だった。前者につい ては、断熱材で木の箱を作り実験を試み、白米をうまく炊くことができた。
しかし、その後、2点をうまく考慮した博士鍋(商品名)なるものが販売され、さらに真空断熱されたShuttleChef(商品 名)が販売されていて、現在は、後者を使っている。後は、料理のときに熱を逃がさないスカートをうまく設計すれば、この項での目的は達せよう。
台所の具体的改善点もまだありそうだ。鍋、フライパン、やかん、等は家族数に応じて、エネルギーの無駄にならないように、大きさ や形を決める。コップなど も断熱性にする。調理台の高さはそこで働く人とよく議論して決める。これは毎日の繰り返しだから、これに類したものはよく配慮する。毎日繰り返される小さ な無駄は、つもり積もると大きな量になる。

1年間を通じて、その地でのエネルギー獲得量が、どの様に変動するかはしっかりと知っておかねばならない。 この1ヶ月以上もの無 風状態は何を物語るのか。 風車発電が殆ど出来なかった。計画時には微風速も考慮する必要がり、全部を1kwにするのは危ない。300wを家の近くに移動して、他の2個を1kwにし てはどうだろうか。ろうそくでの生活も範疇に入れるべきだろう。6/08/03時点で感じたことだ。最近知ったことだが、発光ダイオードによるLEDは消 費電力が、1灯あたり1wと小さいく、照明に対する消費電力はあまり気にすることはなさそうだ。
この様にして、各エネルギー源の年間を通じての獲得量を予測推定して、エネルギー計画なるものをしっかりと組むべきだろう。この 実験住宅での結果は、それぞれのエネルギー源をモニターして、その様子を見るべく予定している。

1−2)風 土主義的住宅計画(Vernacular)
人間のエゴで地球の生態系を大きく変えてしまっている。ここNZの北島では、本来の動植物の生態系はほとんど変ってしまった。何 万年にもわたって培われた 自然が、ひ弱なものになっているのではなかろうか。十分頼れる元の自然に戻す努力をし、そんな中に住む形を求める必要がある。それは大切なことと思う。開 国前の日本の昔と好対照だ。Tea-treeOil、雲の巣での止血効果、などMaori文化は享受してきたはずだ。その地の自然からの恩恵を享受し、そ して、そこに育つ文化を求めてゆくという姿勢が必要であろう。芸術においてもしかり、祭りにおいてもまたしかりだと思う。
まわりの自然のもので住宅を建てる態度は、壊れたときやさしく自然に帰ってゆくための基本だ。カリフォルニアから輸入して育てて いる RadiataPineでは、薬品処理をしないと虫(borer)にたやすく食われ、長持ちする木造住宅は建てられない。Nativeの木材を、世代を越 えて生産する態勢を作り、その性質を学び、よく理解し、その工法までを含め、郷土の技法として確立したいものだ。この点、日本の伝統技法は、しっかりした ものが培われてきたが、それがどんどん失われてゆく現状に対して、それをしっかりと守ってゆく努力をせねばならない。

日本における風土主義を振り返ってみよう。住宅は基本的には木造である。ヒノキ、杉、松(日本の松は、 RadiataPineが NZで育つよりゆっくり育 つのでより強い)などすばらしい木材が使われる。害虫にも強く、細工もしやすい。木材独特の粘りを示すので地震にも強い。壁は竹を割ってネットを組んで木 舞下地とし、やはり地震に耐えるような下地になっているから、それに上塗りした粘土壁は、スサを混ぜるだけで落ちずに持ちこたえてくれる。このあたりは第 1章で述べたとおりである。
屋根は茅葺きであるが、材料としては、ススキ、アシ(ヨシ)、稲ワラなどが用いられてきた。葺き方は第1章に示すが、多くの国で もよく似た技法が伝えられ ている。勿論、茅葺き師の各所に渡る秘法も、その地の気候と伝統を基にして、枚挙にいとまがないであろう。桧皮葺(神社建築の屋根に多く見られる)も住宅 屋根への利用を検討すべきだろう。空間利用として、茅葺き屋根の一部を切り取って中2階を設けたり、養蚕に用いたり、乾燥した空間なので、貯蔵に用いたり している例がある。
わが国では、吉田兼好が言うように、‘住まいは夏を持って旨とすべし’であり、障子、 ふすまが発達してきた。空気層を置いて2重 にするなど、上手に使うと、高断熱の外壁や間仕切りにもなり、現代の住宅への利用価値は大きい。続けたい伝来の手法だ。日本の気候の現実に合わせて、さら に工夫を加えると、すばらしい室内空間が得られるはずだ。
稲からも多くのものが得られている。縄、むしろ、ワラゾウリ、屋根葺き材、スサ、箒にと、いろいろと使われてきた。
この様に、自然から得られる材料で作られた住宅は、年月がたつにつれて趣を持って古くなり、そこに、「わび」、「さび」の概念が 育ってきた。自然を尊び、 崇拝する社会習慣は、各種の文化、それも庶民文化を生み、祭りも各地にそれぞれに伝えられ楽しまれてきた。しかし、国は挙げて封建制社会であり、庶民の不 満は大きくあったに違いない。そこに国が外圧もうけ、開放され、持ち込まれた文化に飛びついたといえよう。結果、先にも触れたように、物質文明へと突き進 み、グローバライゼーションのもと、退廃と破壊へと歩むことになってしまった。風土主義への回帰は持続可能な生き方への力強い助けになろう。
NZ在住の各国の人々を通じて、その国に培われた歴史的Tradeを集めてもらう。日本についても同様に行い、その背景を議論す ることは、楽しいとともに有益だろう。
最近当地のAlternativeを求める人たちの間で、ワラを固めてブロック状(Strawbale)にして積み上げ、両側か ら土壁を塗る方法、そのブ ロックに木毛を混ぜて作ったブロックを積むものなどもある。これらは住宅の自重を支える主構造のカーテンウォールとして用いられる。少し壁厚は大きくなる が、熱還流率は小さいであろう。型枠の中に土とワラを混ぜてつき固めて徐々に立ち上げてゆくRammedEarthという方法もある。いろいろな工夫で壊 れてもやさしく地球に帰ってゆく工法が開発されている。

住宅環境においては、快適性を求めることだけを考えてはならない。幅広い季節の変化から、生きるための免疫 力を培っているという ことを忘れてはならない。 季節の楽しみを味わう喜びを忘れてはならない。けだし、現代の医学は、対処的治療が主流だが、つもりつもって生じた原因を突き止め、それを生活習慣や環境 を改善し、治療するという治療法を見出すべきだ。そして、それを未然に防ぐための食生活は勿論、住環境も含めた場における予防医学を、確立する態度が必要 だと思う。

1−3)浄 化して環境への負担を低減
この住宅で排出するものを振り返ると、処理のできないものはプラスチックだ。昔は、肉を買いに行くと、竹の皮に包んで売ってくれ たものだ。新聞紙に包んで もらったことも覚えている。油や酒もビンで買ったものだ。お袋の買い物籠も思い出される。プラスチックは使わないのがベストだ。
プラスチックの再利用については、塩素を除去しながら石油に戻す工学も進んでいるようだが、その製造過程に従って分別回収し、再 利用の道を探すのが比較的 納得の行く方法だろう。実際、8種類に分けるところまでいっているが、それらをどの様に再利用するか。結局、焼却しているというのが現状のようだ。酸化を 防いだり、使用後の汚れを処理したり、洗浄の手間などに問題はあろうが、例えば、尾関式浄化槽を、再利用のプラスチックに限り使って作るのは良い考えと思 う。ただし、土の側圧に耐えるように、しっかりとした構造にもしなければならないのはいうまでもない。
温室での最初の浄化池(コンクリート池にする前の測定)での入口と出口でのBOD値が、170ppmから21ppmへと激減した のは、植物の分解吸収のみ でなく、Bio-degradable(分解可能な)な洗剤を使い始めたことも大きく影響している。そして、洗剤の使用量の低減(皿洗いには多くの場合、 温湯を流してブラッシングしながら洗っている)の努力も影響していよう。小さな努力を積み重ねて行くことも大切だ。
ばっき槽内の水の汚染度は、カエルとボウフラの許容限度内で、カエルがそれらを食ってくれているので、温室内の蚊が少ない様に思 える。カエル様さまだ。 ばっき層をかい出した時、下に沢山のおり物のようなものがたまっていた。何故出来て、また、それらが一体何なのかを調べる必要がある。カエルはその中に住 んでいたので、有機物であって、毒ではなさそうだ。時々攪拌してばっ気してやれば減るだろう。
この様に、各住戸が徹底的に排出物を浄化すれは、後は工場からの廃水だ。その廃水は特定できるから、そこでの処理はしやすいはず だ。処理のできないものを出す工場は、勇気を持って停止すべきだろう。
貝や魚がNZの広域で汚染されているのは、何かが大量に働いているはずだ。化学肥料は、富栄養化に大きく寄与している。燐で多く の藻が生長する。肥料の多 くは地表面を流れて、川や海へ入っている。さらに、牧場の動物達からの糞尿も大きく寄与している。因みに、動物の糞尿は平均75日で川に流れて来るとい う。尾関式浄化槽でそれを分解させるのに、最低125日かかるというのに。尾関式浄化槽の詳細を説明するパンフレットが英文でも出来た。当地の各農家がそ れを使って浄化してくれると嬉しい。さらに、紫外線(オゾン層の破壊による)、人工衛星からの伝送電波、などが微生物を殺し、自然の循環の鎖を切ったなど も考えられる。けだし、人間生活の出す地球への負荷をすべて洗い出し、浄化法を考えねばならない。
ここで再度強調したいことは、あらゆる環境汚染について、汚染源で徹底的な処理を行う以外に方法がないということである。汚染源 のところでのみ、解決方法 が見出せ、再利用の道が開けることもあろう。混ぜてしまえばどうしようもない。ただのゴミである。また、それを受ける側に回って考えても同様である。例え ば、交通騒音の場合、騒音源での騒音出力を低減すると、騒音環境の改善につながるし、建物での遮音対策も大いに軽減されることになる。それは即エネルギー の節約につながる。

1−4)有 機農法による自給自足
NZに来てから記憶に残る残念なこと、40歳台の若い女性がガンにかかっていることだ。きっと、除草剤、殺虫剤、抗生物質、ホル モンなど、当地で多く使わ れている薬剤によるものが、食品を通じて取り込まれ、がんの誘引になったと推定される。何が最も寄与しているのかを、数量化理論を適用し、解析してみるべ きだ。
その一方で、有機農法での食品を買う人も多い。自給自足が答えになることはいうまでもない。このままでは生きる時代でなく、あれ は駄目、これは駄目と言いながら、生きのびる時代なのだ(シアトル酋長が1854年に予測している)。
食べ物についても、質素に求めてゆくべきだ。あれもこれもと求めると、物質主義と同じことになる。個人個人が、その好みに応じて 作っていくべきだ。料理研 究、栄養学、食品学の勉強をして、農産物として必要なものは何々かを調べ、その自給自足を具体化したいところだ。日本人の平均寿命が長いのは生来のもでは ない点がある。第2次大戦後から徐々に食事が変わり、たんぱく質を意識的に多く取ってきたことも理由の一つにあげられる。
私としては現在、

 米(玄米)、ジャガイモ、サツマイモ−澱粉、ヴィタミン、必須アミノ酸。
 大豆(醤油、豆腐、味噌、納豆)−タンパク質。
 油−(オリーブ、黒ゴマ−抗酸化性)。
 野菜−ヴィタミンと繊維質。
 果物−ヴィタミン、糖。
 木の実−ヴィタミン、ミネラル。
 海草類−ミネラル。
 魚−(現在、缶詰や干物)
 鶏卵−(まだ飼育していないが、バイオガスとChickentractor)
 塩−(海水から)
 ワイン、ビ−ル
 蜂蜜(糖分を得るのみでなく、蜜蜂が野菜、果実の受粉に大きな役割を持つことを忘れてはならない。)

をさしあたって基本的な食料として目指している。まだ着手していない項目は、海草の採取、魚釣り、塩のソ ラークッカーによる抽 出、ワイン、ビ−ル、養蜂などと多いが、やれば出来ると信じている。
種々の薬草も育てたい。ミントに防虫効果、ウコン(Turmeric)も防虫によい。歯茎にもよい。
免疫力の賦活に、びわ(葉と種)、柿、イチョウの葉を乾かしてせんじて飲む。
キシリトールはとうもろこしから作った甘味料。歯周菌がむしろ嫌うので歯周病の治療薬になる。多くの薬草について学びたい。

米作りはまだ完全ではない。むしろ多くの失敗をしてきて、それに対していろいろな試みをしてきている。この 過程は大変意味があ り、それぞれの経験が、将来 起こりうる失敗に対しての対処の準備となるであろう。確立された方法で、完成品を作ることだけを習ったのでは、それは出来ないし、進歩はあり得ない。失敗 は大切なのだ。この例からしても、知識の伝達には論理的な結論のみでなく、種々の失敗も伝承して行かねばならないであろう。何故なら、失敗したときに、ど う対処すべきかが分からないからである。
しかし、何といっても興味深いのは、米の多年草性を利用して、切り株を置いたままで新芽を成長させ、収穫する方法だ。田植えをし た稲からの収量は、その年 の気候に大きく影響されるのに対して、古株からは、段々と安定した収量が得られる事が、この5年間の観察から確認された。2005〜6年にかけては、田ん ぼを全面そのままにして育てることにしている。その結果が待ち遠しい。まだ、長年の間に病気が発生しないか、養分の補給をどのようにすべきかなど、いずれ 検討すべきことは待っていようが、うれしい結果だ。詳細は、第5章の米作りの記録を参照されたい。

各民族がその伝統に従って、農耕をすると、それぞれの蓄積が反映されて、すばらしい結果が得られるのではな かろうか。温暖なNZ では、季節順応によって原 種性が薄れるかもしれないが、その作物が料理の仕方と結びつくと、さらに楽しくなろう。ただし、その植物のペスト性(有害性)は十分にチェックされねばな らない。

具体的に与えられた土地の日射条件を調べることは、住宅建設そのものにも、農地を作る上でも知り尽くすこと が肝心だ。凹凸のある 土地に区分とその法線を与え、

(1)先ず太陽光に対して影になるかどうかを計算する。
(2)他の全ての区分と、太陽光に対して重なるかを見れば、まわりの地面の凹凸も計算できる。

樹木の作る影も明確に出来よう。

野菜畑の面積がどれくらい必要か計算してみた。参考にした文献は手元に残っていないが、1年に1人当たり 65kgの野菜を食べる という。6m2から16kgの野菜が取れるとする と、一人に必要な面積は、6m2/16kgx65kg =24.4m2、4人家族とすると、24.4m2x4≒100m2と なる。
これは野菜のみで、穀物は含まれていないと思われるが、現在の菜園は、丘の上に69m2(主 として野菜)、丘の中腹の中島に30m2(主とし て、大豆、ジャガイモ、Kumera)、下の平地の畑に20m2(主 として、スイカ、メロン、かぼちゃ)の合計120m2
一方、米について言うと、現在の農家での米の生産量は、1反当たり平均9俵(=540kg/1、000m2) はとれるという。一人1日120g食べるとして、4人家族で480g。1年で175kg(一人あたり44kg)。現在の田んぼの面積は131m2(苗 代4m2)。過去5年の収量の平均は66kg、玄米 換算53kg(これは先に示した日本での平均値の75%にあたる)。1年で53kg取れるとして、その4倍すなわち、175kgが1家族に必要とすると、 131m2/53kgx175kg=432m2と なる。これにソバを輪作することも出来る。この様に、500m2が 水田の基準になろう。現在でもかなりの労働を必要とするが、多年草性を利用したり、雑草を刈る時期を考えたりして、田んぼが確立してくると、家族の他のメ ンバーの協力も考慮に入れて、伴う労働力はその4倍にはならないと思っている。
野菜つくりも上記の面積120m2で、 順繰り生産を行い、4人家族に十分な量が供給できることを期待している。ただ、ジャガイモ、サツマイモ、大豆などの穀類にはもう少し多くの面積がいるよう に感じているので、300m2を当てた。作物作りは 経験であるとはよく言われる。歳を経るにつれてうまくなってゆこう。ここでは第1章に書き出したようなものがとれ、注意さえすれば栄養のバランスを失うこ とはないと思う。
”ほ乳類の生息密度は、体重にほぼ反比例する。人間サイズの動物では、1.44平方キロに1人。1平方キロ に320人の日本人の人口密度で は、この230倍になる。”といわれる。何故これが成立しているかは、食料の輸入に頼っているからだという。しかし、人間は他の動物 と違っ て、農耕が出来るということである(土地の効率利用)。肉食ではそれが難しくなると言わねばならない。菜食主義への一定の移行が必要となろう。その意味で 大豆食品になれた日本人が近道にあるのは好運である。ヨーロッパ人の豆腐愛好家も激増している。
草があまり生えない、野菜も育ちにくい寒い国、例えば北欧では、トナカイなどを食べる。太陽を通してのエネルギーである草を、広 い場所から集めさせて、そ の成果を利用し食べていることになる。1年を通じての生き物の様子を見ながら、食生活に取り込むという生活の知恵である。子牛を食べれば、成牛のみを食べ るときの期間を2倍広げられる。鮭の卵を食べることもその例であろう。一種の貯蔵の考え方だが、残酷なことではある。
1997年12月17日から98年1月11日の、雨が降らなかった乾燥期に思ったことだが、十分な雨水の確保、食料などの備蓄 は、短期計画ではダメだ。こ の様な気候の非常事態に対して、十分な対策が練られているかのチェックは非常に重要である。冷害に対して大丈夫か。保存食としてどのようなものがどの様に して保存できるか。備えろ。備えあれば憂い無し。
米はその意味で貯蔵が出来て都合のよい食糧だ。米にこだわるのは、貯蔵の点だけでなく、豊かな栄養のバランスが取れているから だ。ある意味で、その他を多く取らなくてよくなるからだ。
トマト、桃、リンゴ、アプリコット、イチジク、キュウリ、キウィフルーツ、一時にどかっとできるものの貯蔵法を勉強したい。
果物の熟成の速度変化を与えるのに、幅広い住宅内の温度変化が利用できる。

予期しなかった困難との遭遇が待ち受けていた。当地の温暖な気候は、作物などの生育に都合が良いが、好まれ ないものにも同様であ る。Kikuyuを筆頭 に、クーチ(北米さんのイネ科の雑草)、ワスプ(ハチ)、雀、ポッサムなど。それは、バクテリアやウィルスにも及ぼう。日本の冬、夏は、その意味で恵まれ ているような気がする。
Kikuyuはどこかでも触れたように、光合成効率は他のあらゆる植物のほぼ2倍である。普通の雑草への対処は、子供のころから 少しはなじんでいるが、こ ればかりは別だ。極端なことを言えば、北島はこの草に覆いつくされてしまおう。これが導入されてから50年程と聞くが、すでにそれが半分以上を占めてい る。さらなる速度で覆われるのは目に見えている。現在は石油による大型機械で掘り起こすなど対処できるが、それができなくなると何をかいわんやである。
また、最近は田んぼに日本名、シバムギ(Couch-grass)なるものが侵入し、131mの 田んぼ全面を黒のプラスチックシートで覆う羽目になった。詳しくは第5章参照。
有機作物に依存する場合は、土の性質は非常に大切になってくる。NZで羊を飼う時に種々の物質(塩、セレン、他のミネラル類)を 補う。日本人の長生きはそ の土地の与えてくれるものかもしれない。両国の地質を比較することは意味があろう。食べ物も何もその土地との関連を断ち切るわけには行かない。それは自然 (神)からの恵みなのだ。

鳥は何故公害を出さないか。その日にそこにあるものを必要量だけ食べる。その行動は自然の中で確立されてい る。魚は何故公害を出 さないか。彼らも同様、そ こにあるものを食べ、人間の食べるものと共通しない。種族間での葛藤はある。植物は何故公害を出さないか。一定の所でじっとしている。故に、生長に時間が かかる。適当な時期がくるまで開かない。適地を見つけるには他の動物の媒介がいる。獣は何故公害を出さないか。競争は激しい。しかし、満腹すると一服だ。

食料の自給自足は、基本的である。各場所の自然系が持つ潜在的能力を量的に評価できる尺度を作らねばならな い。そんな中で、海岸 線、河の土手、それらをコンクリートで覆ってしまって良いのか。魚がいなくなってしまう結果を、その尺度の中でネガティブに評価せねばならない。

有機農法で堆肥の作り方は基本的な項目だ。無耕起、無肥料は目指したい目標だが、‘土 作りとは微生物に住処 を与えてやること’といわれるまでの状態に畑を確立するには、一定の作業が必要と思っている。菜園120m2、 田んぼ500m2、果樹園を300m2と 見積もって、一体どれくらいの堆肥が要るのだろうか。4人家族への必要敷地面積を2,500m2と して仮説の出発をしようとしているが、どの草を何処から取ってくるか。堆肥箱を何個何処におくか。その大きさは。特に太陽の向きと対応させて決めねばなら ない。
Kikuyuは決して歓迎されない雑草だが、上手に刈り集めて分解させると、よい堆肥として使える。その時、必ず、完全に堆肥化 していることを確認しなければならない。特に節目の周りの1cmでも生きていると、次の世代を育て繁殖する。
堆肥箱はまだ1時的なもので模索中だが、コンクリートブロックを立ち上げるのも一つかと思っている。ただ、堆肥のそこから流れ出 る液も上手に集めて使いたい。その周りの草が勢いよく育っているところを見ると、きっとよい成分を含んでいるに違いない。
ナメクジやカタツムリ退治には、トマト、春菊、クメラ、ジャガイモ、シソなど彼らの寄り付かないものでマルチする。

尾関式浄化槽の第3セクションの残渣を与えてやることで、微量元素などの補完が出来て有機肥料としての完全 性が得られると思う。 ただ、嫌気性環境だったの で、好気性の堆肥に散布して大気に数日暴露してやるべきだろう。2004年の施肥時は2,3日暴露して田んぼに散布した。
残渣のみを混ぜると強すぎて危険だ。Kikuyuでもほぼ死んでしまった。空気によく暴露してやらないといけないようだ。丁度、 Preparation500に渦を作って混ぜるように。

羊を1匹、2003年10月20日から飼育し始めた。名前をTintinという。ここに来たときは、生後 1ヶ月半で、最初はまだ ミルクも少し飲んでいた が、しばらくして草のみを食べてたくましくなった。彼の協力は貴重で、草刈りはしてくれるし、糞はタンクと堆肥箱へ、また、毛糸は衣類へとTintinの 貢献を期待していた。しかし、残念ながらFacialEczemaに見舞われ、肝臓への障害が推定され、背中の毛を3から5cm幅にわたって失ったこと で、寒さに耐えられず、6月20日(日)私が日本へ帰国中に死んでしまった。8ヶ月という短い期間だったが、彼とは楽しく暮らすことができた。人間と動物 とのふれあいの大切さをいろいろ教えてくれた。ありがとう、Tintin。

ここで、1家を4人家族として持続可能を目指したこれまで議論で得られた数値を拾ってみると、

住宅に 80m2
田圃(そば も2毛作で) 500m2
菜園に 120m2
穀類に 300m2
果樹園に 300m2*
雑木林に (燃料用) 500m2*
身障者、社 会サービス、教育などの支援 500m2
温室 50m2
通路 150m2
合 計 2,500m2
印をつけたとこ ろは、Landscapeを楽しみながら、レクリエーショ ンの 場にも利用できる。

京都論文(第5章参照)では1,600m2と したが、2,500m2の方が妥当のようだ。現在、 この住宅で育て収穫している野菜、果実、穀類、雑木は第1章を参照されたい。

1− 4−1)料理について
あれもこれもと贅を尽くすのではなくて、その地に適して育つものを旬で採り、栄養のバランスが取れる組み合わせの作物を使って、 料理の味を洗練させて行くことは大切で意味がある。料理研究も楽しい課題だ。
各人種が、その地で築きあげてきた食生活(その地の自然から与えられた食べ物を基にしたもの)の歴史的調査は、興味があり意味が あろう。そして、新しい場所においてもそれとの共通基盤を見出し、それぞれの伝統に従った食生活を再現することも大切だ。
各国の料理の仕方を集めて、具体的にこの住宅で作る。それらを記録し、それをもとにここで取れる作物などを用いて、新しい料理の 方向を探る。持続可能な生 活における料理の探求と言えよう。有機農法による新鮮な作物で各国の料理を作ると、Originalよりも美味しくなるかもしれない。
2004年は、Ratatuilleをおいしく食べることに、テーマの一つをおいた。南フランスのProvence地方の、トマ ト、ズッキーニ、なすを基 盤にした野菜炒めだが、それらにその日の野菜を加えて作る。オリーブ油、塩、コショウで味付けする。野菜だけでこんなにも深みのある味がでることが分かっ てからは、病み付きになり、トマトをできるだけ長期間収穫できるように育て、長くこれを楽しんだ。
2004年春にはトマトの種、14種を蒔いたが、一部は6月末(日本の12月)まで収穫し続けることが出来た。野菜の組み合わせ は、基本的にはその日の野 菜によるし、厳密にRatatuilliとも少し異なっていようから、これをKaiwakaratatuilliofthedayと呼び、友人達と楽しん でいる。11月中旬時点で畑は野菜であふれ、トマトなど夏野菜には早いものの、野菜炒めはすでに料理の主流になっている。朝の野菜ジュース(青汁)は飲み にくいが、効果を感じる。
毎日の残り物(深くこくのある味)を上手に使って、その日の料理をおいしく作り、味わうことは、料理人の知恵であり、家庭料理の 根源であろう。

長い分業の流れの中で、各々が専門化されて、一般の人達が、それら専門家に頼らざるを得なかったことが、誰 にでも出来るように なってきた。それは、特に個 人主義の発達した社会で、その様な方向に向かう着実な動きを持っている。料理や菓子の作り方は、多くが一般化され普及している。本もCDに読み込める時代 だ。その印刷物やモニターで見ることは簡単である。農業も個人で可能だ。図書館の機能は大きく変わってくる。情報通信網の発達は、情報のみならず、医学診 断までも可能になるであろう。
大量生産方式に則ったおかげで、安く手軽にワインは入手できる。それがアル中へと導きかねないので、最近は、私自身に"ワインは 自分で作らな ければ、飲むな"と言い聞かせている。ネガティブな方向からのアクセスだが、私には貴重なコメントであり、農作業のPriority に入れて いる。PinotNoir,Shiraz等の赤ワイン用の苗を購入する予定。

玄米は、水に一晩浸けて炊くと白米と同様に炊ける。さらに、真空断熱された調理器具を使ってエネルギーを節 約できる。シャトル シェフと呼ばれる商品だが、 炊飯時の蒸らしに使っていたエネルギーを節約することになる。自分達で作った断熱材を使っての調理器具、なべの周りから逃げてゆくエネルギーを、スカート をはかせて無駄にしないようにするとともに、その空気層も断熱層として利用するものなど、それぞれに特徴があり今後の検討課題だ。

食料生産と結びついた食料の保存の研究が必要である。例えば、野菜を畑においたままにしたり、果物を木に なったままにしておくの も、一つの貯蔵方法にな る。当実験住宅では、米やサツマイモは地下室で保存。ジャガイモは大きいものからとって、小さいものには土をかぶせておくとまた大きくなるそうだ。それら を考えて行くうちに、もっと自然との距離が近づくことになろう。

人間が、食べ物を加工し大量生産し、販売されたものを購入して生きている姿は、作られた姿のように見える。 加工品を食べているか らだ。魚を海から釣り、畑の野菜を食べるのが、自然の中での生き方だ。
最近知り合った人の中に、ほとんどの食べ物を生で食べる人達がいる。穀類など15%ほどは料理するが、野菜、果物は勿論、木の実 などは生だ。料理をするこ とによって酵素(Enzyme−たんぱく質を分解するときの大切な触媒の役目を担う)が死ぬからだ。それは丁度料理のときのエネル ギー節約に もなり、持続可能な生活には非常に興味のある食生活だ。さらに勉強していきたい。
発酵食品がよいのは、身体の消化機能を一部代行して吸収しやすい状態を作っているからだろう。例;ヨーグルト、納豆など。それに は尾関さんのタンクの説明 が都合がよい。ところで、枝豆でナットーキナーゼはできるのだろうか。何故なら豆自身がゆでやすいから省エネになる。後は低温保存しなければならないが。 枝豆の豆腐はあるそうだ。

1− 4−2)米作りのエピソード
私の子供時代、田舎の祖父母の所で過ごした時に見聞きした記憶と、教科書片手で始めた米作りも一定の軌道に乗り、人々に知れ渡っ てきた。 NZNationalRadioの取材を受けたり、地元で講演をしたり、新聞記事で紹介されたりした。MaungaturotoとWarkworthで も、RotoruaやNelsonでも、それぞれがそれぞれのやり方で作り始めた。地元の、原種保存の大切さを唱える人の店でも私の寄付した種を販売して くれている(2004年11月時点)。何とか、オーストラリアから米を輸入するのに必要な石油が枯渇する前に、この地で十分米が食べられるようにひろめ、 定着させたい。
ある人に聞いた話だが、一般的に3世代半でその地への順応が完成するという。2006年秋に6回目を向かえる私の米はもう Kaiwaka米といってよいのかもしれない。
私のKWでの米つくりの経験を簡単に振り返っておきたい(詳細は第5章を参照)。
‘ゆきひかり’(北海道種、1984年産)を種籾として、日本より持ち込む。それに先 立って、近畿地方の農家からもらった種や ‘日本晴れ’などを持ってきたが、うまく育たなかった。’ゆきひかり& rsquo;で育成法が確立すれば、さらに改 良された北海道種も試してみたい。
年度毎にその育成結果の概略を紹介する。


1997年 隣家の池からの溢水で自然にできた小川内に植える。丘の影 になり日射不足、さらに肥料不足で淡い黄茶色の実ができたものの、中身は入らなかった。
1999年 田んぼの準備ができず、いろいろなところに試みたが、この 時も実が入らず、失敗だった。
2000年 田んぼと灌漑用の池ができて、池から手押しポンプで給水し たが、土がろ過性で水を溜 めることができず、水を入れずに散水で育てた。4月11日から5月14日、実の入った籾から順次収穫。ヨーグルトの容器2杯分の種籾が取れた。これらが、 以降の種になった。この後、粘土層を30cm敷いてもらい表土を戻して、田んぼの形態が整う。
2001年 5月、43kg収穫。多くを鳥に食べられた。60kg以上 取れていたと推定。この後、フェンス用の金属製ポストを使って、鳥よけネットをしっかりと作る。
2002年 80kg収穫(福岡さんの収穫量の91%)。まだ播種の時 期に不安が残り、多年生利用の課題が興味深く残る。
2003年 48kg収穫。気候不順で意外な収穫量だった。播種時期も 検討課題で残った。
2004年 78kg収穫。田んぼも肥えてきた感じだし、一定の軌道に 乗ったようだが、まだ、播種時期と多年草性利用について、翌年に続く実験が残った。
2005年 66kg収穫。多年草性に注目してきた興味深い成果が得ら れた。田植えをした稲からの収量は、その年の気候(この年は日射不足だった)に直接はっきりと影響を受けるのに対し、古株が受ける影響は少なく、その収量 は多く、安定してきた。


この5年間の131m2か らの収量の平均値は66kg。玄米換算53kg。一人当たり44kg必要という数字もあり、実際、KWの生活で不足したことは無い。

「エネルギー危機で、米がオーストラリアから輸入できなくなる。その準備をしておかねばならない。古い歴史 を持つ日本が、仮にそ れが2000年としても、 米つくりを2,000回しかできず、その改良の試みもそれだけしかできなかったと考えれば、その古さの感じ方も異なったものになる。その間、米つくりを綿 々と改革し続けてきたわけだが、短期間でも多くの人々の協力で、それぞれの異なったやり方で、異なった結果を得ることで、すばらしい次の手法を見出せるだ ろう。」以上は、ある米作りの講演で述べたコメントである。
食料を得て生き延びるという戦いは、過去から現在へと大変な努力で続けられてきた。農業はその基本であったろう。それに反して、 近代科学がどんどん発展し て、その延長上に、食料増産がありえそうな錯覚さえ生み出してきている。それは大宇宙を構成している神の教えへの反論ですらあり、人間の論理で作り上げた 架空の世界に生きようとしている姿ではないか。自然の恵みのもと、豊かな食生活を確立し、物質文明を否定し、精神的な進歩を目指せる世界を創り始めようで はないか。
農作業すべてが一様化されてしまっている。米の作り方も気候、地質、地形等との関連で、もっと育て方に丁寧な議論が要るように思 う。例えば、多変量解析を導入して、多くの角度からよりよい方法を検討してゆくべきだ。勿論、米のみではない。
米の育成を例に取ると、以下のような要素について、数量化理論1類を適用し数量化すると、どの様に各要素が影響し、どれくらいの 量が収穫できるのかが予測できる。

外 的基準 一株あたり の米の重量(単位面積当たりの収穫量)
要 因 タ ネの種類
株間隔
土 の種類 酸性アルカリ性など
肥料のやり方
肥料の種類
成長過程における気温
水の量
周りの草の種類と量(肥料と内部相関の可能 性)
苗床か直播きか
苗 床から移植の時期

等など、成長に関連した、お互いに独立した要因について、十分なデータから数 量化すれば、各地での収穫量が予測できて、その地に 相応しい育て方が分かる。なお、多年草性利用の育て方については、別途同様の手法を用いて検討すべきだ。
この方法で、他の食糧生産についても、数量化した結果を作っておきたいものだ。誰でも容易に作物を作ることができよう。
PermacultureにおけるCompanionshipは、むしろ内部相関の強い独立因子を結合させて、それを一つのパラ メーターにして議論することになろう。

米の育て方をこれまでの成功例のみで熟知していると、間違った例について何がどう間違いだったのか、言及で きない。物事には失敗 は大切だ。幅広く知識が得 られる。そして正しい方向へ思考が重ねられて行く。そして本当に正しい方向が確認できる。方向が確立したところに進歩はない。

1− 4−3)この項のまとめ
エネルギー問題として最初の項に掲げたが、実は農作物を作ることもその根幹の一つなのだ。すなわち、食べ物を育てるために周りの 草を刈って、時間をかけて 堆肥を作り、肥料として作物に与える。これは太陽エネルギーそのものである。敷地全体にどの様に太陽が降り注ぐか、草がどう育っているかも十分観察して、 太陽の恵みをしっかりと把握せねばならない。
さらに言うなら、その土地から得られる材料で、住宅を造るのもそこで得られる太陽のお陰だ。また、まわりを汚さないと言うのも、 汚れたものを浄化するとい う余分なエネルギー、或いは、汚れることによって使用できなくなる面積を減らすことの無いようにする、と言うように、その土地に降り注ぐ太陽エネルギーの 恩恵を忘れて議論することは決して出来ない。先にも触れたが、最も効率よく利用したときに、一人頭、或いは一家族あたりどれくらいの面積が要るのかが大き な課題となる。
必要な一定面積を規定するのは、人間のエゴでもある。その面積に持続可能と称して住むことが、自然と調和して人間が存在しうると いう命題の解決になるので あろうか。しかし、人間から自然への働きかけのきっかけの空間になろう。持続可能といっても作り直して行く過程だ。最も少ない面積で自然の中に生きさせて もらって、大きな地球とのハーモニーを楽しみ、そこからのインスピレーションを得て、次の世界(NextPlane)を想像するのは、何と素晴らしいこと だろう。

これまでのわが国での経済の流れを振り返ると、先ず分業化が一つの流れを変えた。履物屋、鍛冶屋、織物屋、 大工、指物屋、工芸職 人、農家等などと、区分は されていたが、彼等それぞれが自然との接点を持って、自分の食料生産もしていたろう。村でワイン、バター、チーズ、豆腐、蜂蜜、等の基本的な加工品を、片 手間でうまく作れる人がいて、それらを物々交換していたであろう。そこに、政治的手段、社会的手段を使っての搾取階級が出現した。封建社会がその例だとい えよう。
大量生産が始まる。大きなエネルギーが必要となる。水力発電が開発された。大量生産が肥大化する。ますます大きなエネルギーが必 要となり、化石エネル ギー、原子力エネルギーが大きな位置を占める。この両者がお互いを刺激し合い、ますます分業が進んでいった。大量生産とエネルギー開発は、2足のわらじ で、大衆の上に立つ権力の取得方式を作っていった。この様に振り返ると、極端な分業化と大量生産方式が、持続可能性を壊していったといえる。
大きく他人に依存している空間がある(関与しないようにしている空間)。それは丁寧に合理的につぶさねばならない。分業という概 念の元で、結果的に、気づ かずに人を利用して生きる空間になってしまった。食料は人に作ってもらい、食事は職場まで運んでもらい、そして、一つの仕事をして1日を終わる。それに対 して、自給自足に切り替えると、それに拘束される時間もできるが、育てることの楽しさ、それを食べることの楽しさを味わうことができる。

UNESCOの課題;迫り来る食 糧危機と環境問題

酸性雨や土壌汚染で米が作れなくなるという懸念

近い将来各地で作物に関して困った状況が生じうる。それに備えた食料生産と確保については、例えば、UNESCOがもっとしっか りと検討すべきだろう。持 続型の食料政策の、各地での手法をまとめあげ、生産予測、そして現状の改善へと提起すべきだと思う。例えば、米の作り方を世界各地から取り寄せ、多変量解 析によって分析し、各地でのよい方法を研究し合う。Internetで情報をやり取りし、UNESCOがしっかりとまとめ、指導すべきだろう。これと同じ ことを、何処の場所にどのような食物が育ち、どれくらい取れ、どの期間供給できるか等なども調べ、非常時に備え、その状況を回復する手だても検討しておく べきだ。食料政策は人々を制御する手段に使ってはならない。非常時への対処+今後起こり得る人工的変化+その回復、に対する準備としてあるべきだ。危機に 面しているのは陸上だけではない。海の魚も同様である。

持続可能なライフスタイルの世 界化の準備

やはりUNESCOがやるべきだ。各地の気候に応じた必要最小限面積の推定とその保障。このプロジェクトの 面積割付が参考になろ う。

具体的な項目の例は、自然のエネルギー(雨水利用、風車発電;風速、羽根の数、直径、コピス;木の種類、気温、日射収集;ソラー クッカー、ソラーオーブン 等などの各地での特徴)、農作物、伝統的なVernacular(屋根、壁などの住宅構造等など)、などの項目について議論し、備えるべきは、枚挙にいと まがない。


(2) 持続可能性を目指した住宅の計画

持続可能な生活は、定量的な予測をもとに計画することが基本となるべきだ。そし て、太陽エネルギーの恩恵を受けて、確信を持って 計画を進めてゆくことだ。 この節では、桃源郷(理想郷)計画を目指した、いわば、前奏曲として、特に定量的に実現してゆく手法について述べてゆく。

人間は自然の中に住まわせてもらっている。それを大きく乱すように、さわることも変えることも許されない。 したがって、太陽エネ ルギーの下、人間一人一人 の住まい方の系が、地球に負荷をかけないように、うまくしっかりと閉じられる作業を完成してゆかなければならないと思う。
ヨーロッパ人がNZへ移住してきてから、多くの努力をして、それまでとの類似性を作ろうとした。それは祖国と同じ手法なのでたや すく、郷愁も伴い導入した と思われるが、それに大きく失敗し生じた結果が、現在の厳しい検疫などの処置となった。今の厳しさを延長線上において、昔の自然に帰る努力をすべきではな かろうか。
農耕民族と狩猟民族に分ける議論は少し単純すぎる。動物蛋白に美味を追い求めてきた狩猟民族の飽くなき欲望の結果が、腸の長さま で変えてしまった。東洋人 の食習慣や思想がここでも必要だ。菜食主義は食生活の基本になろう。ただ、ライフスタイルの急激な変化は不可能だ。一部緩やかな変化を、一部ドラスティッ クに勢力的に。

ただ単に、快適性を求めることだけを考えてはならない。幅広い季節の変化から、生きるための免疫力を培って いるということも忘れ てはならない。現在の医療 は、悪くなった箇所について、局所的に治療をしているように見えるが、そこにいたるまでの原因を議論する態度はあまり見られない。環境問題に対処するのと よく似ている。対処的なやり方は、ネガティブである。すばらしい食生活(中国での薬膳もその考えだろう)に始まって、健康な生活を楽しむ方向から治療を議 論すべきでなかろうか。そのための住宅計画をしっかりと構築しなければならない。
各国における、石油エネルギーが使われだす前の生活環境の調査をしてみると面白いのではないか。ソ連ではマイナス40度にも耐え ていた(事実AKLに住む ロシア人から彼の国のストーブをすすめられたことがある)し、父母の時代の私の家からは殆どゴミはでなかった。日本でも水力発電だけで賄えた時代がある。 どの様な生活水準であったか。個人生活のレベル、その時の電力事情から振り返ってみると面白かろう。それを持続可能性への尺度の基準に置くことも可能だ。 京都プロトコールではまだ不完全だから。
日本のすばらしい職人技をすべて洗い出して、持続可能な生活へつなげねばならない。消えてゆこうとしている、すばらしい日本の数 々の職人技を守るグループ としても活動したい。永い歴史の中で、その土地で培ってきたものは偉大で貴重だ。日本における木造住宅は立派な歴史上の宝だと思う。現時点での短い議論や 観察から得られるものと区別して、議論するとともに、今はそれに基づいた次の未来を作る時だ。大量生産に基づく物質主義のグローバリズム、それを手段にし た侵略主義は、個人のレベルで捨てられるべきだ。
畳が一つの物差しになっていた。湿気を除去する作用、それが湿っているかどうかで、室内空間の評価。除湿材としての先人の大きな 知恵である。い草は茎の中 をよくみると多孔質になっている。吸放湿に都合がよい。適切な材料の選択をしてきた訳だ。雪が降れば雪囲い、日射が強ければよしず張り。少しの手間で長期 間が快適になる。
世代に渡る長期計画として考えねばならぬ。例えば、住宅の修理のための材料の確保。材木の生産。桧の35年を最低限見込んで、何 本必要でそれを育てるのに 何m2必要か。茅の調達が困難なため、現時点では稲を屋根葺に使うとし、どれぐらい生産でき、何年で葺け る量が確保出来るかの計算が必要だ。勿論、短いの は田んぼに帰す。
NZでのKauriやRimuなど、日本でのヒノキ、杉などよい木材は何年も使える。木材のみでなく建築材料の再利用、再使用の 組織を構築する必要がある。

完全に破壊された第2次大戦後は、物を造らなければならなかった時代だった。無理(=環境汚染)を押し通さ ねばならなかった。そ れを隠ぺいする社会習慣 が、その過程で身についてしまったのではないか。生産体制も精神的な背景も、結果、犯罪的になっている。大きなつけとなってしまった。
人工的異常気象と大きな自然のうねり。米は後者の中に悠然と育ってきた。前者の一時的現象にとらまえられるべきではないが、彼ら はその様な気候変化に一度 も遭遇していない。酸性雨の雨が降って、米が育てられなくなることを真剣に考えるべきだ。勿論、酸性雨を生じている原因は、そこで阻止せねばならない。
結局、最終的な持続可能への結論に向っては、更なる議論や作業が必要となろう。多くの過渡的な生産過程を含む作業が必要だ。持続 可能といってもまだ人工エ ネルギーを多く使っている。例えば、ミラープレート、ガスライターの石、風車の羽根、その周辺の電気機器、家電製品、トイレのスツール、等々多くがある。 永久使用を目指して、さらなる努力も、必要なプロセスとして考えるべきである。

さて、日本において1家族2,500m2仮 説を摘用すると、全国においては、

総面積;372,313km2
総人口;118,450,000人
平地1km2あたり 1,500人以上の人口密度。
家族数(4人家族として);29,612,500戸
持続可能に必要な総面積;2,500m2x29,612,500 戸=74,031km2
その全面積比;74,031/372,313x100=19.88%

平地面積が17%(13%の農地+4%の住宅地)あるので、それに緩やかな斜面を2.9%加えることによ り、日本においては現在 の森を温存して、十分実現可能な面積である。宅地として4%しか使っていない国土利用をうまくやると、持続可能型はたやすく可能なのだ。

私は当年とって68歳。この持続可能な生活は年寄りにもできるのだと強調したい。時間をもてあましている老 人達にも協力を求め、 私自身の励みにもしたい。若い頃の体力はないかもしれないが、それは数で補うことができる。
ただ、より若いときから始めるほど、より密度の高い豊かな住環境が整えられるのは明らかで、年齢を経るとともに、どのように物質 的な面での作業を進めてゆくか、の綿密な計画を見出したいとも思っている。
スイスの友人から教えられたことだが、かの国では女性の生き方について子供の頃から、‘自分の足で立って生 きろ’と教育するそう だ。正しいことだと思う。持続可能ではそれが出来る。日本の女性達よ、夫の収入に頼るな。女性の参政権を世界で最初に得て、女性の独立を築こうとしてきた NZでも、その様な女性はまだいるという。

2−1) 持続可能な住まいの計画
住宅の設計をするときに必要な外部気候の項目を抽出し、その地の地方気象台からその記録を得て、長期計画する態度が必要だ。地方 気象台も住宅計画に必要な 項目をしっかりと収録し、その要求にこたえるべきだ。それへの協力をぜひお願いしたい。晴れ、曇り、雨の自動的記録の手法は確立されているか、輝度計によ る雲量の測定は可能か、などどのように処理されているのか興味を持つが、住宅計画への協力体制に期待したい。
この記録は、室内気候の推定のみならず、ソラークッカーやオーブンがどの程度使えるかも検討せねばならぬ。
さらに大切なのは、その場所での気候、地理、地形、植生、など自然が与えてくれた贈り物を、少なくとも1、2年は観察し、しっか りと住宅設計の計画を立てねばならない。洪水、強風、竜巻、地震、などからの安全性の検討は、非常に大切だ。

そして、自然としっかり調和したデザインでなければならない。材料は当然、その地の自然から取れるものであ るべきだ。
私の好みかもしれないが、屋根はデザイン上非常に大切であると思う。材料もススキ、葦、稲(過去4回の収穫で得られた稲ワラのス トックを図2-2-1に示 す)、麦などでも葺けるし、杮(こけら)板−ヒノキ,マキなどの薄板−で葺くもよし、桧皮葺もよい方法だ。かわ らの場合は、色調 やタッチが周りの自然と調和するものでなければならない。



図2 -2-1 稲ワラのストック

現在のこの住宅と敷地の具体的な平面図、植栽の配置、エネルギー利用の外回りの設 備、などを含めたスケッチと現在の実験住宅の平 面図、断面図、立面図を図2-2-2に示す。


敷地 の配置図(図内の記号や数字は、以下にその内容を示 す)

1.プラム(赤)、2.プラム(黄)、3.プラム、4.イチジク、5.キウィ (♂♀)、6.アーモンド、7.ブルーベリー (♂♀)、8.アプリコット、 9.ヘイゼルナット、10.リンゴ(フジ)、11.リンゴ(ゴールデンデリシャス)、12.アボカド、13.チェリー、14.桃、15.ナシ、16.栗、 17.フィジョア、18.ビワ、19.マカデミア、20.柿、21.クインス、22.オリーブ、23.グレープフルーツ、24.柑橘類、25.クルミ、 26.アルダー、27.アカシア、28.ポプラ、29.杉、30.バナナ、31.桑
A.稲田、B.上の菜園、C.中の菜園、D.苗木、E.アスパラガス、F.下の菜園、G.小屋、H.グランドタンク、I.ソラー パネル、J.堆肥箱、K.ソラークッカーなどの収納箱、L.野外劇場、M.風車

1 階平面図 地階平面図 2 階平面図

実験 住宅平面図(図中の文字は以下の内容を示す。数字は mm)

1階:A1,2.寝室、B.押入れ、C居間、D台所、Eシャワー室、F.トイレ、 G.玄関、H.電気室、I.バッテリー、J.ポ ンプ、K.小屋、L.ヘッ ダータンク、M.グランドタンク、N.収納庫(ソラークッカーとオーブン)、O1,2,3.デッキ、P.ダクト、Q温室、Q1.ばっ気槽、
地階:R.種の保存棚、S.道具棚、T.食料棚、
2階;U.ソラールーム、V1,2.本棚、W1,2.ダクト、Z.測定用PC。

  Y-Y'断面図                   X- X’断面図

東 立面図 南 立面図
西 立面図 北 立面図

図2- 2-2 最近の実験住宅の様子

必要な一定面積を規定するのは、人間のエゴでもある。その面積に持続可能と称して 住むことが、自然とバランスして人間が存在しう るという命題の解決になる のだろうか。しかし、人間から自然へ働きかけるきっかけの空間になろう。持続可能といっても作り直して行く過程だ。1家族、2,500m2と いうのはまだ仮の設定だ。

一つ一つの努力がすぐ報われる。節約が直接的な意味を持つ。すばらしい美徳だ。もったいないと昔はよく教え られたものだ。(例; 何かの機会に得られた温度 の高い湯で脂っこいものを洗う。あるいは流す。残り物の木切れでもいろいろなものが作れる。その切れ端で作ったものおき台、踏み台、テーブル、本棚、種の 整理だな、ベンチ、稲のドライフラワー、などなど(第3章 歓喜のある生活、参照)。

住宅としては、最小のものを計画すべきだ。鳥の巣を見てみるがいい。あの小さな中に子供を産み、餌を採って きて、子供のために 通っているその真剣な様子は素晴らしい参考だ。
ここNZにヨーロッパ人が移植してきたときは、小さな家に住んでいた。友人のDavidStudholmeは庭先に、入植時に先 祖の使った家を、 Cuddyと名付け大事に保存している。土壁茅葺きで5mx3m程度だが、ベッドも置き、流しも持っている。図2-2-3にその外観を示す。



図2-2-3 Studholme家のCuddy

質素に生きるには、このような例がよい参考になろう。一度この住まい方に、ここで 得られた持続可能型の知識を導入してみてどうな るか、を考えるのも興味がある。桃源郷計画の参考例になり得る。

ひとつの住宅内の温度分布は、おおむね層状になっている。比較的自然にできる低温、高温の分布を、夏、冬に と使い分けるのも意味 があろう。
2005年4月に1階の天井を断熱にした。現在換気口を作っていないので、本来のソラールームの浮力で、クールチューブの熱交換 を利用するシステムは使え ないが、1階の床を介して、地下室の低温の熱伝達で少しは外気よりも室温は下がっている。2,005〜6年の夏、どの様な室内気候になるか、観察したい。
ソラールームの日中の高温はすばらしいが、夜間の放射による熱損失は大きい。冬の晴天日の夜に、住宅内の他の部屋よりも温度が下 がったのを確認した。その損失をなくすように工夫すれば、冬の居住空間としても面白い。
少し人工的になるが、地下室の恒温性を利用して、そこに断熱された壁を持つ寝室を作る。人間の発熱を利用すれば、冬も温度的には 暖房なしに過ごせよう。

身障者、老人にも優しい計画も具体的に考えるべきだ。種々のハンディに妥当かどうか、設計時から丁寧に検討 しなければならない。 床レベルの平坦性、車椅子で自由に動ける屋内外の通路、風呂場、トイレ利用の容易性など、丁寧な議論が必要だ。

冬の暖房のために、無風の時は内部で薪を燃やせるような平面計画を考えねばならないだろう。この住宅では火 災を恐れ、薪で汚れる のを避けたので、温水用の暖炉を外の小屋に設置した。この例のように、現在の住宅は何箇所かの失敗をしている。
2階への階段もしかり、トラスも検討の余地あり。KWに住むなら地下室は不要だ。茅葺き木造が主体の住宅の場合、防災上の点から も、蔵のような離れを作る 必要がある。断熱性の開口を太陽に向けて、すなわち冬の暖房のために、大きく取る。ひさしを短くする。夏は通風に頼る。ネズミがすきを見て侵入しないよう に、窓から窓へ空気を通す。ソラーパネルは、夜シャワーを浴びることが多いことを考えて、少し西に振らす(10時から2時までの時間帯を逃さず、余弦 (cos)が1に近い範囲にとどめる。

気候に応じた衣服のデザインも議論の対象になろう。今の衣服の多くは、上下や足元で別れていて、ことに後者 においては寒い。パ ジャマにベストも寝具として考え得る。

2−2) 室内環境の計画
手法が少し傲慢であっても、数量で表して主張しないと説明、説得ができないし、経済力に押し流されてしまう。そんな場合には、定 量的議論が必要である。測 定、分析、そのシミュレーションを用いて、予測、計画しなければならない。この努力は、シミュレーションの不十分さに向けて、更なる科学的発展を導き、持 続可能を目指した本来あるべき科学の方向へと議論が向かってゆこう。
太陽エネルギー取得の種々の工夫を最初に述べたが、最も大きな手法は何といっても住宅によるものであり、最初に、家はしっかりと 太陽を中心にして計画し、 建てられなければならない。現場の状況をしっかりととらえ、周りの草、木の様子も参考にして配置計画、家の向き、材料、開口などを計画し、しっかりと定量 的に捉まえねばならぬ。そこから太陽エネルギーを取り込むことを考えるのだ。季節ごとに一定の軌道を回る太陽を捕まえるのだ。
その意味で、昔、われわれが建築計画原論といっていた領域の役割が大きくなってきた。日本の昔からの木造住宅を対象にした科学 を、綿々と積み上げてきてい るからだ。計画原論と呼ぶように、自然の摂理を学び、建築に関連した科学を研究し、どの様に住まいの快適性向上に取り込めるかを議論する領域といえる。
室内環境計画について、異質な環境要因を総合化して評価する方法として、不快性尺度を導入し、数量化理論・類を用いて解いた結果 から、住宅の環境精度を高 める手法を、次項に示すように提案した。それによって住宅をひとつのシステムとして考えることができ、図2-2-4に示すようなフローチャートを考えた。



図2-2-4 住宅設計支援のコンピュータープログラムのフローチャート

次項で示す室内総合環境計画法とともに、構造計算、コストパーフォーマンス、持続 可能性評価、データベースの収集などが、それと ともに必要となり、設計者へひいては施主へのリアルタイムでのフィードバックとなり、設計者を支援する。
構造計算は、多様性のあるデザインに向けて対応できるプログラムでなければならない。2x4のような壁構造、間仕切り壁や日本式 湿式壁の柱構造、屋根のト ラス構造などに適応できるものでなければならない。価格評価は、すでにしっかりとした毎年の建築材料の価格リストが出来ているから、それを用いて出来よ う。データベースはこのフローでどの角度からでも推定できるように準備されねばならない。
まだ、持続可能性を評価する尺度については検討段階であるが、要因として、次のようなものがあげられる。

※建物を建てる過程でのエネルギー消費量と、どの様な形でそれを使うか(工事の 仕方)。
※そこで生活するに必要なエネルギー。
※住宅の補修に必要なエネルギー。
※デザインの永続性。
※各部材の耐用年数。
※毒性 材料そのものの毒性、工事に使う材料や施工の仕方、材木への防腐防虫等の科学処理の毒性、ボンドの毒性
※いったんエネルギーを使用したのだから、それを使いきるまで、どの様に再使用、再利用できるか、また、その方法(新たにエネ ルギーをどれだけ使うか)。その後、優しく地球に帰っていくか。
※生活廃棄物の汚染性、炭酸ガス、BOD、CODその他の公害。

これらの項目について、この実験住宅の実状と比べて、±のポイントを与え、総合点を 求めて評価するのも1 案であろう。これらの議論は多岐に わたるが、使用する言葉は共通の理解の下に議論を進めねばならない。徐々に科学的経験を積みつつコンセンサスを見いださねばならないだろう。

フローチャートに示したコンピュータープログラムには、使用する前にプログラムのチェックが出来るようにしておく。あまりにも異 なった種類のものが含まれているので、それぞれに一定の標準形を入れて、チェックできるようにしておくべきだろう。

2−3) 室内環境および生活環境の総合評価
2−3− 1)室内環境の総合評価
室内環境は、物理的に異なる要因(音、熱、光、色、臭いなど)からなっていて、われわれは日常それぞれを個別に受け止めるのでは なくて、全体の印象として それを評価している。そこである要因が傑出すると、はじめて、その固有の感覚尺度で評価する。例えば、騒音レベルが傑出していると、& lsquo;うるさ い’、‘やかましい’等と。ここでは、騒音、室温、照明という異種の3要因を1つの総合尺 度に置き換える手法を説明 し、室内環境の精度を高めるために用いる評価関数として提案したい。詳細は第5章の文献を参照されたい。
室内環境を、“普通“、”やや不快“、 “不快”という3つくらいの評価に当て はめることは出来る。無響室に壁紙を張って改造した人口気候室で、騒音については、40、50、60、70Leq(A)の4カテゴリ、熱環境について、夏 の場合は、21.8、26.2、30.7、34.6SET*の4カテゴリ、冬の場合は、15.0、18.5、22.7、26.1SET*の4カテゴリ、光 環境については、170、700、1480Lxの3カテゴリを作り、それら任意の組み合わせで、被験者に単純な作業(クレペリンテスト)をさせた後、作業 環境としてどう感じたかを、先の3つの不快尺度、“普通“、”やや不快& ldquo;、“不快 ”から選択させた。その結果を数量化理論・類という多変量解析でとき、表2-2-1に示す各カテゴリに対するスコア(重み付け)を得 た。物理 的に異なる環境要因の影響も数値で与えられたことになる。

         (i)夏の場合                   (ii)冬の場合

表2-2-1 不快尺度を対象にしたときの環境3要因の スコア

3つの不快尺度について、このスコアの散らばり具合からもっとも的中する確立が高 くなるように、判別区分点を表2-2-2のごと く得た。



表2 -2-2 不快尺度の場合の判別区分点

具体的な使い方は次のとおりである。夏季の場合で、騒音レベル55Leq(A)、 室温28.4SET*、照度700lxの室内環 境のとき、表2-2-1か ら各カテゴリのスコアは、内挿によって、騒音は0.102、室温は0.443、照明は0.006を得る。その合計は0.551で、表2-2-2の判別区分 点から“普通”の区分に落ちることが分かる。次に、騒音50Leq(A)、照度700lxのとき、"普通"の室 内環境を得るには、室温をどうすればよいか。“普通”の申告を得るには、総合スコア 0.55以上が必要だか ら、室温のスコアをxとすると、0.151+x+0.006>0.55を解いて、x>0.393を得るから、室温を28.9SET*以下にすべきというこ とが分かる。
この様にして、異なった物理要因に対しても同じ数値上で議論が出来るから、どの要因で改善しようとも目的の室内環境は達成でき る。すなわち、技術的な難易度や経済的な議論が出来るわけだ。
これら各3要因において、室内環境の総合評価への寄与する程度は、熱環境が傑出している(第5章の文献参照)。したがって、計画 上は、住宅そのものでの室 内熱環境の調整が非常に大切になる。すなわち、太陽のエネルギーをどう住宅計画に取り込むかがキーになる。敷地の地形、回りの樹木は勿論、作ろうとする住 宅において、例えば、その向きをどう取るか、どのようなところにどのような大きさの開口を設けるか、外壁の仕上げをどうするか、熱貫流率は …これらは全て室内熱環境に大きく影響する。その計画法は、2-4)で述べる。
ちなみに、冬のKWの実験住宅では、騒音環境は40Leq(A)として0.436、照度は700lxとして0.006、さて “普通 ”をねらったとき、室温は?0.436+x+0.006>0.53として、xは0.088より大きくしたい。18.7SET*以上と なる。 2005年4月、天井を断熱にしたが、その年の7月20日時点で、夜でも14℃を切ったことはなく、日中はこの基準を守っている。夜は厚着をすれば十分だ ろう。

2− 3−2)生活環境の総合評価
数量化理論II類による生活環境の総合評価法(第5章の原著論文参照)をかつて提案した。WHOのいう4要因、安全、快適、利 便、保険を基礎にした生活環 境調査票を作り、近畿圏の種々の生活環境の異なる地域に赴き、アンケートした結果を数量化したものである。それによれば、周辺の風紀、冬の日当たり、騒 音、周辺の緑、…の順に重みをつけて評価する様子が示され、8項目の要因(調査は22要因について行ったが、強い相関を持つ項目は 捨てたの で8項目となった)について、重み付けるスコアが得られた。表2-2-3にそれらのスコアを示す。



表2 -2-3 生活環境評価に影響する各要因のスコア



表2-2-4 判別区分点

その結果を用いれば、その場所の総合評価は簡単に推定できる。計画段階で、それら の要素をすべて取り上げ、数量的評価を行いなが らよい住宅を建てるための 議論や作業が進められる。既設の住宅の改善修理の場合も同様に議論できる。さらに、総合スコア上で増減できるから、どの要因でどの程度やるべきかは、技術 的経済的に議論が出来る。
これによれば、KWのこの実験住宅の生活環境は、総合スコアが0.733となる。内訳は、買い物の便利さ、悪い& amp; amp; -0.251、冬の日当たり、 非常によい0.303、夜道の明るさ、悪い-0.113、騒音、良い、0.241、通勤通学の安全性、良い0.023、周辺の緑、非 常に良い 0.216、周辺の風紀、良い0.382、子供の遊びの安全性、普通-0.068、で、総合スコアは、0.733。このスコアを判別 区分から 推定すると、“良い”にかなり近い“普通”と評価されることになる。 例えば、買い物の不便さを解消すれ ば、“良い”と評価されよう。この結果は、私の日常感じている実感と一致する。

 2-4)熱環境の計画
住宅の内部空間の質を向上させるのに、熱環境の調整が卓越して重みを持つことは先に述べたとおりである。ここではその計画法を述べ る。工学に親しみを感じ られない人は、式の中身に深入りしないで、その部分は飛ばし読みして、何が計算できるのか、その利用価値はどの程度あるのか、という判断だけはしてほし い。
建物と熱については、過去多くの研究があり、詳細にわたって多くの議論がなされている。しかし、例えば、住宅周りの風圧分布の議論を する人は、そのことだ けを論じ、壁体での熱移動をやる人は、その点を中心に研究をする。それに対してわれわれは、外部空間から室内空間の熱環境を推定するべく、全体的に場を見 つめ、最近の各分野での研究結果をつなぎ合わせて、全体系での計算が、測定値と比べて、どの程度対応するのか、すなわち、どの程度室内気候推定に利用でき るのかを検討した。それによって、どの分野、あるいは、箇所が予測精度において劣っているのかを見ることもでき、次の研究テーマを見出せるはずだ。
KWの実験住宅では、長期間、次のような外部気候と室内気候を観測してきた。直達日射、天空日射量、外部風速、風向(住宅の南西約 15m、高さ約7m(風 車下2m)で観測-現在は風車の影響を避ける意味で、西側15m、高さ約5mで観測)、外気温、外気湿度。室内においては、各部の温度測定、気流測定(床 換気口2点、西側クールチューブ各1点計3点、合計5点)、湿度測定(外部、リビング各1点)、グローブ球温度測定(北寝室、リビング各1点)。
この実験住宅の測定結果を使い、計算は教え子の安積弘高君(相愛学園、非常勤講師)が鋭意やってくれ、学位論文としてまとめるととも に、興味ある結果を報告してくれた。

2-4-1)熱の場の計算
外部気候から室内気候を推定するには、各室内空間において、壁、床、天井などの境界からの熱移動量(式2-3-1により求める)、換 気による熱移動量、さ らにその空間での発生熱量を平衡させる式2-3-2を解かねばならないが、このときの温度変化は、空気の流れを変えるから、その式2-3-3も同時に解か ねばならない。この様に、お互いの場、熱の平衡と空気の流れが影響しあうので、単位時間ごとに区切って同時に両方を解き、時々刻々それを行って時間変動を 求める。



2-4-2)KW実験住宅でのシミュレーション
次に、安積君の計算結果と測定値の対比を冬季と夏季の南北の2寝室について、図2-2-5から8に示す。



図2-2-5 冬季の北寝室空気温度の実測値と計算値の比較



図2-2-6 夏季の北寝室空気温度の実測値と計算値の比較



図2-2-7 冬季の南寝室空気温度の実測地と計算値の比較



図2-2-8 夏季の南寝室空気温度の実測値と計算値の比較

この様に各室の温度変動をよく捕まえており、このプログラムを用いれば、その地方の気 象台のデータを得て、年間の建てようとする、あ るいは、改善しよう とする部屋の室温が予測できる。さて、この室温に影響する要素だが、非常に多くある。直達日射、天空日射、風向、風速、外気温、外気の湿度などの外部気候 をはじめ、住宅の幾何学的条件、住宅の表面仕上げ、開口の位置と大きさ、またその仕上げ、壁の熱貫流率と熱容量、隙間の大きさ、住宅内の上下方向のパー ティション、各部屋間の換気量、等などが、2つの式の上で影響を与える。定常的に影響する要素も多いが、実際は過渡応答として室温変動をとらまえて評価し ないと大きな意味がなくなる。
一般に、熱容量が大きいと、外気温の最高時が後にずれてそのピークも低くなる。夏よく経験するところである。この様な現象をしっかり とこれらの式で予測し、室内熱環境を評価しなければならない。
これらの計算は少し複雑なので、専門家に計算を依頼すべきだろう。また、その様な専門家を養成することが緊急かつ不可欠だ。

このプログラムによる計算結果は、図2-2-5~8に示すように、ほんの一部で1.5度℃程度の相違(人間の動 きによる外乱と思われる)を示すが、全体的 によくあっており、特に、変動の様子をよく捕まえている。このプログラムは、住宅を建てる前の室内気候の推定に、実用的に使えるようになったと思う。
これに加えて、騒音環境、光環境の推定ができれば、2-3-1)の評価手法によって、建てようとする住宅の“住 み心地”を予測することができる。このプログラムの作成も急がれるところである。

このプログラムを使って、持続可能性の評価の一つとして、どれだけ太陽エネルギーを住宅に取り込んでいるか、簡 単に計算できる。すなわち、等価外気温で上 乗せされる分や窓から入射する分の和を計算によって算出することも出来る。

この実験住宅では、騒音環境、光環境、は問題ないので、改良するとすれば熱環境になる。
2005年4月、Norbertが天井の断熱工事をしてくれた。その冬の室温は14度止まりであった。この断熱効果とともに、天井を 設けて小さな空間にし たこと(天井にはソラールームの浮力を利用するための換気口はまだつけていない)で、かつての大きな空間での対流がなくなったことが、その効果をもたらし たと考えられる。さらに、東内壁の子舞に壁土を塗り熱貫流を小さくすることで、冬季、さらに温度上昇が期待できる。地下室では、冬の温度が少し高温側に変 化したものの、この空気と接していることで、床の熱貫流よりリビングの温度は、夏冬ともにより快適な方向に制御できる。最初の夏は、このままでその様子を 観察し、確認したい。

2-5) この節のまとめ
以下は、新しい持続可能な家を建てるときのメモのつもりで書いたものだが、KWを具体的に想定して、実際にデザインしてみるべき だろう。

※ カイワカ計画が持つ最初の4原則(自然からのエネルギー、その地で生産される材料の使用、回りを汚さな い、自給自足)は包含 されねばならない。
※ 住宅は可能なかぎり小さくする。この地域では地下室は不要だろう。
※ 住宅の最適設計、熱環境を第一として環境計画(向き、ひさし、開口、熱設備等々)。具体的に室内気候を計算して設計する。
※ トイレの位置は尾関式浄化槽を完全に可動させるように計画する。
※ 夏の環境計画は通風に頼るこれまでの方法、これは冬、非断熱的になるから二重窓にして、それを断熱する。
※ 縁側の効用(コンサーバトロリーとして利用)。
※ 窓の形と配列は、自然の素材を使った非直線的な形を取り入れ、レベルもあえて一定にしない。
※ ソラールームでの温湯、ソラークッカー、ソラーオーブンなど太陽エネルギーを得る系として捉える。冬の暖房にも用いる。
※ 各論で述べた項目について簡潔に述べる。未
※ 先に述べたように、一戸につき2,500m2は 必要である。基本的には、菜食主義に基づく数字といえよう。


(3) 桃源郷計画(UtopiaVillageScheme)

桃源郷−田園詩人、陶淵明が詩として最初にうたう(365ー 427年の人)。李白(701-762年)は、 その後、彼の詩に影響されて桃源郷 を引用。ある日、川沿いを散策していると、美しい桃が流れているのを見つけ、それはどこから流れてきたのだろうと興味を持ち、上流へと旅を続けた。ある谷 に入ってゆくと、突然、草木の花々が咲き乱れた村が開け、老いも若かきも笑顔に満ちて、彼を迎え入れてくれたという。この村こそ桃が流れてきた所、桃源郷 (理想郷)と歌った。今、目指そうとしている持続可能な村は、すでに存在していたといえるかもしれない。
自然に満ち溢れた場ができると、種々な生物の生死を観察することからも生き方を学べる。作物を作る過程で、草が育つ過程で、家畜 を育てる過程でと、いろいろと経験できる。歓喜を感じることしばしばである。
持続可能は、基本的には心の問題である。誰もがいかねばならない次の空間、そこへの到達の仕方を求める場である。それを求めてい く過程で、現実の世界は種 々考えさせる。業を押し通す人間、対決することを避け、こそくに逃げる人間、その間を狡猾に泳ぐ人間、それらを観察して、その様な生き方の意味がないこと を明らかにして行くこと、そんな作業もレベルは低いがある程度必要で、早くそれを乗り越えて、本当の意味での生きがいを求めて行かねばならぬ。そして、持 続可能の生活が、さらにその確信、勇気を与えよう。

幸い、日本の多くの村は基本的条件を備えている。潅漑用水を含め、水を山から集め、平地へ運んでくる作業 と、その結果は、蓄積さ れた素晴らしいInfrastructureである。
人間の住まいは、自然のなかに本質的にはなじまないものだと思う。一つの住居の設計計画には、なじむための大きな努力が必要だ。 努力をしていない住戸が 一ヶ所へ集まり、かたまって集落を作ると、ますます違和感を呈する。アジアでは、一ヶ所に集まって住む傾向をもち、依存型(協同型)といえよう。権力機構 の温床になる。一方、NZでは、ことに田園部では別々に住み、個人主義的色彩が強い。強い人格が必要だ。しかし、文化を得るのに一定以上の努力が必要であ る。個人が尊重され、弱いものを助け合える精神と行動があれば、そして文化を培って行く精神があれば、持続可能へ大きな潜在的能力があるのではないだろう か。
私が旅したときのイタリアでの印象は、集落を作るときには、まわりとの協調を考えてデザインし、集落(集団)としての表現にもポ イントを置いている。結 果、すばらしい空間を作っている。文化が豊かだと、参照する基準のレベルが上がり、ますます、すばらしい空間を創ってゆける。イタリアはそんな空間で満ち ている。

収入は自然からもらうから税金をかけようがない。税金は基本的にはただ。最低の税金も金を介せず物納にする と、金持ちになろうと する人間もいなくなろう。 金を導入するから、欲が出るのではないか。もっと沢山の札びらをと。物々交換だと、物のイメージになるから、蓄財するという概念が薄れてくると思う。物々 交換をするときに、ポイントのやり取りにすればと思っているが、ポイントは貯めるというのではなく、次に必要なものをイメージする目安を作るだけだ。
持続可能の生活では、他人のために農作物を作って、金儲けの手段に農業を考えるのは改めて行くべきだ。身障者、老人、社会サービ スをする人々への分は、他人とはいえ、働かねばならないが。実際この余分に必要な分をどう見積もるか。

・ 老後:働けない期間は5年か。
・ 身障者:その地域に何%居るか。
・ 医療:医者は何人必要で何%になるか。
・ 社会サービス(警察、役所など):マルチメディヤの時代に役人が何に必要かを検討し、%を出す。戸籍係、税務署等しっかり とデータベースをつくれば、それを管理することで、現状の労力が大きく削減できる。

など、一定の作業が必要だ。そして、本当の余剰生産物を物々交換することになる。

自然の持っている複雑な仕組みは、机上では構成できない。具体的な過疎村を選んで議論を進めたい。その例に おける議論の過程か ら、持続可能型の村落計画法を構築して行く。そして、より高次の結合は、都市、国家、世界へと展開し、過去の既成概念を越えねばならない。
多くの志を持った人達の協同が必要だ。このKWのプロジェクトで経験した事実は、少なくともそれを出発点にし、勉強会を先ず開 き、コンセンサスを形成す る。持続可能の生活を始めるには、金を物差しにすると、労賃が高くて多くの金が必要だ。しかし、その概念は、人を利用しあっている社会の上に立った推論で あり、自分自身で全てを作って行こうとする社会を前提にして、議論せねばならない。まず、有志が集まって勉強会をして、基本になる科学的知識、大工仕事の 手法、農業の基本を習得し、村作りのコンセンサスを共通のものにする。マスタープランもみんなで作らねばならない。
それから、一つの家庭の住居を先ず完結する。次の日から普通に生活できるくらいに。その人は、次の人の住居作りに全力で奉仕す る。この輪を広げてゆくと、おのずと村が形成される。そこでの経験者は、次の村作りへも奉仕する。
“各自が解放され、自由を得、創造的な生活を、ともに磨き上げ作ってゆく空間として、村を創るのだ。 ”

3−1) 自然が与えてくれる恩恵
年間を通じた気象条件のデータを入手する。特に夏型か、冬型か。両方が悪い(現在の日本の大都市のように)と、初めて地下室を通 じての地中熱利用となる。
自然に与えられた地形、植生、を乱さないで、上手に住宅や農地を作る方法を十分に検討する。
四季を通じての太陽の入出を明確にする。特に日本の場合、夏と冬に注意をする。地形、地質、人口統計、社会学的背景(文化、祭 り、行事を含む)をよく調査し、それを背景にした計画をする。季節変化の恩恵を徹底的に取り入れ、それを楽しめる住宅にしたい。
天気予報は、曇り晴れの情報のみでなく、気圧配置も必要だ。等圧線が縮まると、その直角方向に風が吹きやすい。天気の予測が、次 の日にどの様にエネルギーが得られるか、その予測に利用される。

川の自然浄化作用を利用して水を得られれば理想的だが、それが近くになければ雨水の利用は不可欠だ。茅葺き 屋根など、自然に優し い材料を用いると、その表 面を伝わった水は、うまく濾過しないと飲めない。温室のガラス屋根もカビが生えている。材料としては亜鉛鉄板がよさそうだ。この住宅のように大屋根に亜鉛 鉄板で雨を集める大きな面を作るのも一案だ。井戸が掘れれば、その水を用いるのがよい。地中で長年月にわたって十分ろ過されているからだ。また、一定の面 積に降る雨を、井戸を掘って集めることも考えられる。斜面を利用して、蒸発を防ぎ、徐々に下流に集める。棚田もその役割を果たせよう。

茅葺きの材料の検討。デンマークでは、海草まで使っている。NZのこの界隈では、米を作ることを広めて、稲 ワラを使ってはと思っ ている。葦もよい材料だ が、Noxious(有害種)として育てるのは禁じられている。最近、NativeのKutaという葦に似た草があることを聞いた。調査するつもりだ

土壁の作り方の検討。材料、施工法、など各地に伝えられている手法を集める必要がある。各地の気候に合った 施工法を、その地で実 験的によく検討すべきだ。壁が息をするとは、よく共通して言われている。興味ある点だ。
ここNZは、日本と同様地震国なので、日本の土壁がそのまま利用できよう。この詳細は第1章に述べたとおりである。

既存建物の改善。空気層+和紙は高い断熱性を与える。例、白川郷の博物館では木造+茅葺きで、隙間風がとこ ろかまわず、ビュー ビューと入ってきていた。し かし、重たい外壁はなく、障子が外壁の1部を作っていた。これを2重にし、隙間を封じれば冬でも十分耐えられよう。ただし、騒音の侵入にはひ弱だが。

日本の棚田はすばらしいInfraだ。過去のあらゆる自然に対する経験から学んだことの積み重ねでできてい る。これを失ってはな らない。日射の様子を見据え、水の流れを学び、地質を粘土質の土壌に改良して水田にし、結果鉄砲水も防ぎ、斜面を保持するという。
日本人は低地に住んでいて、水田には都合がよいが、丘の上に住みだすと、陸稲の検討も必要。どんな味で、どう育てられているか。 栄養分はどうか。

必然的に出来たInfra、例えば、棚田と、人間の利便性のために出来たもの、例えば、高速道路とのはっき りした区別は必要だろ う。

その地での先人の知恵を集める。地球上で座標の数値から位置を決めるのは難しい。その難しさを、我々はすで に無響室の中でマイク や音源位置を決める時に経 験している。星に委ねて航行したマオリ人の知識は偉大で正しい。クモの巣が止血剤になるという知識はマオリの知恵だ。マヌカオイルも傷口によく用いられ る。我々が知ろうとしていないだけではないか。
日本でもユキノシタ、ゲンノショウコ、などの薬草、熊の胆、等など枚挙にいとまがない。

段々と自然から離れて行くと、そこに帰ってゆけないかも知れない。

  ・ 昔の農法も忘れる。
  ・ 自然の中での約束事を広くまとめて考える能力を失う。−洪水と高潮
  ・ 自然と共存するための鋭い観察力

ミミズを触われない子、ジャガイモが果物のように木になると思っていた男、読んだ本の色刷りが間違っている のに、飛んでいる鳥が 間違っているという子供、 清んだ星空を眺めることが、無限のかなたを想像せしめ、そのことで恐怖を感じるという大学生、すでに自然との離反が、歪んだかたちで進んでいる。
さらに問題なのは、人間の手前勝手な発明が、混乱に輪をかけ、それがさらなるViciousCircleを作っていることだ。

持続可能といっても作り直して行く過程だ。量的に一定面積を規定するのも良くない。自然との融合性をしばし ば振り返り、改良して 行くべきだ。一つの出発があると、次々と創意工夫が作られてゆく。

3−2) 社会システムのLowHierarchy化
KWでは、道を歩いていると何処の誰だか知らなくても、歩いていようが車に乗っていようが、知った人であろうがなかろうが、老い も若きも笑顔を交わした り、軽く手を挙げたりして、挨拶を交わす。道を歩いていると、近所の人がわざわざ車を止めて乗せてくれる。ちょうど、陶淵明や李白が桃源郷で経験したよう に。桃源郷はここから始められるかも知れない。大きな面積(面積をいろいろと聞いて回ったが、誰も詳らかではない。これもおおらかなKiwiの一つの側面 とほほえましく思わせた。一先ず、私なりの試算では、車に乗せてもらったときの記憶から、時速40kmとして、東に10分、北に5分、西に20分、南に5 分とすると、それぞれ、6km、3km、13km、3kmとして、(6km+13km)x(3km+3km)=114km2。 大よそ過ぎかも知れないが、ひとまずの数値として書いておく。KWの人口は約850人ということだ。100km2以 上に広がるが、村長もいない。まさにLowhierarchyだ。救急隊、消防隊は全てVolunteerだ。これは素晴らしい社会倫理感だ。自分は恵ま れているから、その一部を他人と分け合うのだ、また、自分が困った時には、他人も助けてくれるのだと。KWの人達は、何かにつけて、このプロジェクトにつ いても気配りをしてくれている。各人がそれぞれの生き方をしていて、他人に敬意を払っているように思う。村長も町長も居ないのは、そんな小さなことにかま けてはおられないのだろう。
多くのKiwiのAlternative(都市生活に落胆して、田舎生活に切り替える人たち)が、大きな街から移り住んできてい る。外国人も多く、イギリ ス人がチーズ屋を、オランダ人は種々工夫をした家を自分の手で、ドイツ人 とイギリス人がEco-villageを、またMotelを、スイス人が芸術家達の集まる場所を、等々それぞれが自分たちで自分の生き方を追い求めてい る。

先にも触れた様に、これまでのわが国の経済社会の流れを振り返ると、先ず分業化が一つの流れを変えた。靴 屋、鍛冶屋、織物屋、大 工、指物屋、工芸職人、農 家等など、区分はされていたが、彼等それぞれがまだ自然との接点を持って、自分の必要限の食料生産もしていただろう。そこに、政治的手段、社会的手段を 使っての搾取階級が出現した。封建社会がその例だといえよう。
そして、鎖国を解き開国、西洋文明から機械化を学び、大量生産が始まる。大きなエネルギーが必要となる。水力発電が開発された。 大量生産が肥大化し、化石 エネルギー、原子力エネルギーが大きな位置を占める。ここでの両者が、お互いを刺激し合い、ますます分業が進んでいったといえよう。
開国前の江戸時代末期の人口は、4、000万人と推定されている。有機農法のもとで、自給自足のできるバランスを知っていたので あろう。そしてその後の 100年で3倍にもなってしまった。外国文化の導入に伴った工業化が、錯覚を与えたのだろう(医学知識が増えたこと、アジア進出のための兵力増強、など他 の要因もあろうが)。この様に振り返ると、極端な分業化と大規模エネルギー使用による大量生産方式が、持続可能性を壊していったといえる。
村でワイン、バター、チーズ、豆腐、蜂蜜、等の基本的な少しの加工品を、片手間でうまく作れる人がいれば、それらを物々交換でき る。物々交換は桃源郷の大切な流通システムだ。
長い分業化の流れの中で専門化されて、一般の人達がそれらの人たちに頼まざるを得なかったことが、情報社会のお陰で、誰でも出来 るようになってきた。ま た、個人主義の発達した社会はそちらに向かう着実な動きを持っている。菓子作り、料理は、多くが一般的に普及し、各国の料理を個人で試みることが可能だ。 本はもちろんCD、DVD等、またInternetからも検索できよう。
最近の(情報)通信網の発達は著しく、医学的診断も通信網にのせて行われようとしている。Internetの利用、Emailで のやり取り、すばらしい手段ができたものだ。個人が解放され開放されるにほかならず、政治をすみに追いやり不要にする意味を持とう。

鳥は自分で作ったあんな小さな美しい巣に住んでいる。そして自然の中へ自由に羽ばたいている。他の生き物達 も巣作りにはそんなに 時間をかけていないようだ。人間にも大きな家は要らない。質素に生きることは不可欠であり、その原則を忘れてはならない。
一体、4人家族にどれ位が最適か、長くそこに家族として住むことを考えて計画しなければならない。すでに述べたように、現在 2,500m2と見積もっている。そこでは、家庭内 での協力が大切だ。年齢、性別に応じて、個人の体力に応じて、仕事を分担する。1回の食事の料理に1時間半もかかることなどは、家庭内の協力で緩和でき る。

持続可能に生きるには、その土地をよく理解し、そこで一定以上の定着をした生活をせねばならない。放浪生活 をする場合は、 Wwoofer (WillingWorkersonOrganicFarmsとよばれ、農場での労働の換わりに、食事と宿泊を得る。NZにはこの様な農場が400以上あ り、世界から若者が集まってきている)のような形をとることになろう。
村で牛耳る奴がいると、これは排斥せねばならない。個人主義の基本がここからも作り上げられる。

NZでの職人の組織化も緩やかなものである。各職種がはっきりと独立している。大工(Builder)、ブ ロック積み、穴掘りな どの土木工事 (Excavator)、配管工、電気工、左官工などの世話になった。Builderとその仲間は、お互いの技術を尊敬しあっているから、スムーズにこと は運び、日本でのように職人の手腕と労力を搾取する建築請負業は要らない。自分の領域に誇りを持っている。正しい理解、よりよい技術を磨く努力をお互いが 絶えずしている。日本の昔の棟梁がいたころの組織化に似ているのではなかろうか。職人の繊細な技術は、評価され一定の報酬も得ていたろう。建築工法を広い 角度から見る建築研究所のような機関は必要であろうが、職人の構成においては、ここでもローヒエラルキー化が必要だ。

日本でも、大都市では諦めている人がほとんどだが、地方に行くとまだ可能性を求めて夢を描いている人達がい ると思う。彼らと連帯 していかねばならない。桃 源郷計画は、種々の人達で構成したいと思っている。例えば、自然の食生活に詳しい人で、それを植えてその研究を楽しめる人、コンピューターの計算が得意な 人、科学が得意な人、果物作りの上手な人、野菜つくりの上手な人、何かに深く興味を持とうとする人がいい。多くの豊かな知識と考えを持った、実行力のある 人たちに期待したい。
長い距離を歩いての買い物、郵便局行き、どうすれば不必要となるか、を考えるのはよい機会であり、持続可能へ向けてレベルアップ が出来る。コミュニティ内 でのお互いの助け合いは、それを緩和してくれよう。自給自足はその量や機会を減少させるし、Internetの告知板利用で、周りを代表して買い物するの もよかろう。それを運ぶCourierも意味を持とう。

1997年5月、中国北京近郊の持続可能を目指した村を訪問したことがある。そこでは、先に村が構成されて いる。国の社会体制と 東洋人の性格によるものか 知れないが、強い信頼のもとで維持されないと崩壊しやすいと思う。鳥も魚も皆一人で行動する。一方、集団の故にチーフが要る。それへの依存が強くなって は、個人の創造性は発揮しにくいと思う。
大きな浄化槽を1カ所に作り、各住戸まで配管している。無駄であると共に、きっと分配においてトラブルが生じよう。毎日 150kgの石炭を燃やして浄化槽 を暖めており、糞尿を遠くから集めるエネルギーを含め、その方法に疑問を持った。暖めることで残留物が残る。それは農場に返し、肥料にしている。それと対 象的に、尾関式浄化槽はバイオガス発生のためのエネルギーは不要である。そして、一個の小型の浄化槽には、3から4家族が利用するのが精一杯であろう。

桃源郷での税金はどうあるべきなのか。物々交換に対して税金はどう定義するのか。慈愛による寄贈はどう取り 扱われるか。それで は、人を招待して、食事を供 与するとどうなるか。はっきりしていることは、老人、身障者へのサポート、社会サービス、医療サービス、社会に共通した課題の研究などへの醵金は必要だ。
持続可能な社会の物々交換が基本の村から、街、都市、国家へと交流していくとき、経済行為の上で、どの様な場になるか。

日本における大量生産方式に支配された、地域の一様化は、文化や特徴を殺し、それらが無くなってきた現在、 取り立てて見に行く価 値のある地域はあるのだろうか。皮肉にも交通機関によるエネルギーの節約になる。悲しいことだ。祭りを含めて地域文化の復興をはかるべきだ。
祭りの様子もニュースなどでは伝わるが、商業主義に乗っかっていて、退廃的になっていると思う。もっと土臭くあるべきだ。

持続可能とは、物理的には太陽のエネルギーが枯渇するまで生きる方法を見いだすこと。そのためには、自然の エネルギーをもとに、 地球を汚すことなく、自然 農法に基づく自給自足で質素に生きて行かねばならない。社会組織も奉仕の精神に基づくLowhierarchyによるものでなければならない。そうすれば 権力を争う戦争はなくなろう。
さらに広義にいえば、人間が個として自然の中で生活する場を確立し、そこで創造的な生活を送ること。その創造性は死後の生活にも 継続されるものであり、そ こへの連続性を見いだす精神活動を発展させねばならない。そうすれば、太陽エネルギーが枯渇しても、さらなる空間へと展開してゆけよう。

3−3) 村としての持続可能型への手法
日本の村は、官僚機構の中で議論されてきた。内部から興る自然発生的議論は少なかったように思う。村の持つべき社会的機能を検討 し計画する。ただし、Lowhierarchyの立場を貫く。次のような機能は必要であろう。

※集会所:クラブ活動や文化活動の拠点にする。また、雨で野外劇場が使えないときのホールとしても用いる。 したがってシューボッ クス型。この一角にパソコンの共同利用のスペースを作るのもよいことだ。
※集荷所:共同購入などを含むショッピングセンター、基本的には物々交換で互助の精神でやりとりをする。朝市を広場に設けるのも よい。子供が通学の折に運ぶ。
※中古品やoff-cutの建築資材、不要になったものなどを集め、お互いが点数のやり取りで後に備えられよう。村の中での再利 用、再使用のシステムの確立。一軒の住戸での分類は勿論のこと、村としても分類を徹底する。
※図書館:データベース化されたシステムへアクセスができ、検索して必要なものが得られようにする。CDにオリジナルの各ページ が治まる(JASAの例)。
※研究活動:電子メイルなどで行う。
※情報化システム:外部との関係や情報の収集はこれを通じて行う。情報システムがどこまでrealtyを持って追いかけられる か。最初から情報化システムを導入しておくと、大きく村の概念や構成を変えよう。
※野外劇場:季節ごとの音楽会、芸術祭やお祭り。
※運動場:主として学校が利用するが、村のレクレーションや緊急時のヘリコプター発着場にも用いる。
※村の工作工場:工具は共同で購入、利用する。
※学校:親が最良の教師であることを忘れてはならない。自然とのふれ合いの中に勉強の基本をおく。自然と共生する生活を目指すた めの科学、いわゆる、マス としての教育はVideo、Multimediaを介して行う。そして、有機農法による食糧生産、一定の職人技を教えることはもちろん、自然との語らいを 表現できる文化、芸術を教える場にする。
※医療設備:どの様な規模で、近代工学をどのように使って組織化するか。情報システムと高分解画像の電送で、コンピューターや医 師による診断。非常時の医 療をどうするか。ヘリコプターの発着場を、隣接する村と共用で配置する。病院もさらに高次のコミュニティに共通して設け、自然の中にあり、療養、リハビリ を行い、回復への期待をより強く与えるべきであろう(このような病院は、日本では現在皆無に等しく、病気はむしろ悪くなるばかりだろう)。ここにも自然と の融合を取り込み、病人に回復の意欲を持たせる。InternetのHomepageを開いて具体的に、どの様な機関が、どのような準備をしているか調べ て見る必要がある。ここNZのVolunteer救急隊、St.Johnsはすばらしい組織だ。
※役所、警察、消防:一括して行い、いわゆる既存社会の機構へのさしあたっての接点とする。火災時、非常時、不明になった人間の 探索など、自警団を結成す るVolunteer精神は不可欠である。現在の日本にはないが、ここNZでは、助け合うことの組織化はすばらしい。消防署、救急隊、居なくなった子探し 等。自分もいずれ世話になると云うだけでなく、慈愛の心でもある。
※交通機関:その土地から得られるエネルギー(水車、風車による電気、でんぷんによるアルコール、メタンガス)を用いた車が望ま しい。電気自動車は有望で ある。しかし、その利用については、共同利用が原則であり、その点では個人が譲り合わねばならない。水力発電を基本にした国を縦断する幹線鉄道が必要であ る。
※Infrastructure:これらをどのように配置するか。与えられた地形、地質、気候などを考慮した上で決めねばならな いが、それまでに人間側か らも各機能と、その必要性の度合いなどから、要求したい、こうありたい、というレイアウトを十分考えておく。本来住みながら変えて行くべき側面もある。
※共同生産地:茅葺き、材料、木材、貯水池、風車、林、牧場なども必要。
※Landscape:農耕による自給自足を完結するための村での全体の計画。
※生活に必要な食物(穀類、果物、肉類)、生活必需品、建築材料、村としての物々交換、共同作業、共有財産、町への買出し等な ど。

農作業には、Companionship、粘土団子、有機農法、不耕起、多種混合栽培 (multicultural)など弾力的 に利用することで、より持続可能が促進されよう。
以下は各家で不可欠である。

 米(玄米)、ジャガイモ、サツマイモ−澱粉、ヴィタミン、必須アミノ酸。
 大豆(醤油、豆腐、味噌、納豆)−タンパク質。
 油−(オリーブ、黒ゴマ−抗酸化性)。
 野菜−ヴィタミンと繊維質。
 果物−ヴィタミン、糖。
 木の実−ヴィタミン、ミネラル。
 海草類−ミネラル。
 魚−(現在、缶詰や干物)
 鶏卵−(まだ飼育していないが、バイオガスとChickentractor)
 塩−(海水から)
 ワイン、ビ−ル
 蜂蜜(糖分を得るのみでなく、蜜蜂が野菜、果実の受粉に大きな役割を持つことを忘れてはならない。)

をさしあたって基本的な食料としている。海草や魚の採取、塩のソラークッカーによる抽出、ワイン、ビ −ル、 養蜂など村で協力し合うと、効率が 上がるし、不慮の災害、長期旅行の折にも助け合える。何をさらに生産すると、よりバランスのとれた食生活がおくれるかは、さらに詳細な検討が必要だろう。

電気自動車の実用化が快調
1リットルのガソリンで、現在の自動車を運転するのと、それで発電して電気自動車を運転する時の効率は後者の方がすでに大だとい う。同じ量の石油を使って、今のように自動車を走らせるときの効率は約13%、発電を介して、電気自動車を走らせると、それ以上の効率が得られる
電気自動車は、リチュームイオン電池の開発で、実用的な可能性が出来た。1回の充電で160km走行でき、140km/hrで走 行可能。
最近の報道では、慶応大学がさらに電気自動車を改良している。30分間の充電で電池容量の70%が充電でき、300km継続走行 が出来る。夜間電力を使うと500円で東京−大阪間を走れるという。最高時速は370km/hr。
蓄電池に使う鉛の回収と再利用も軌道に乗りつつある(1997年4月のニュース)ともいう。一方では、アンモニアと炭素によって キャパシターを作って、蓄電する方法も開発されている。大いに期待されるところである。

光合成で得られたエネルギーに依存するとすれば、次の計算も成り立つ。
15,000倍の太陽エネルギーに対して、食物へのエネルギー変換は4.7から4.8%といわれる。陸地は1/4しかない。その うちY%を覆うとして、バイオガスへは40%(根拠は?)の変換効率とすると、

15,000 x 1/4 x  Y/100 x  4.7/100 x 40/100 =1 (人間の必要とする量)
Y= 1.33

陸地の1.3%を覆って、植物を育てバイオガス化することで、数字の上では人類の 必要とするエネルギーをまかなえることになる。 しかし、それを集めて浄化 槽まで運ぶエネルギーも必要だ。それについて、バイオガスの半分を使うことにしてその面積を考えると、その2倍2.6%覆わねばならないことになる。
太陽光の電池による発電よりも、木の光合成によるエネルギー変換と蓄積の方が効率もよく、前者が公害を出すのに対し、後者は現状 のバランスを崩さない。アカシアや松の木の生育状態は目を見張るものがある。このエネルギーの収集についてはもっと研究せねばならない。

具体的に村を作ってゆくには、等高線と現場の視察結果から、CADで土地の起伏を掘り起こす。
風車発電には、丘の上もよいが、ビル風のように谷間にも風の強いところがあるはずだ。
コンピューターや情報システムのための安定電源の確保−電力会社の水力発電によるエネルギーの一部なら使っ てもよいのではないか。

大規模な機械、例えばトラクター、電気自動車等を共同使用する規約。大工道具さえ共同利用する。

雪国では地中熱で雪をとかして、その水を利用する。その水を蓄えるレベルは絶えず、冬、水を必要とする畑、 住宅よりも高くしてお かねばならない。下のほう に流れる側溝を作っておくと、小川のようになって飲料水としても、外気よりも高い温度のエネルギー体としても利用できる。
雪囲いは、雪の断熱性を利用した良い工夫だ。
雪が降るのと風との相関。風力発電と合わせる。何m以上の風が多いかにより風車の大きさを考える。
極端な気候を持つ地域での現実的な住宅設計を試みて見るべきだろう。地球規模で行うべきだが、まずは、沖縄、北海道から始めるの はどうか。各地の人々の協力なしにはできないが。

風よけの植樹。村全体での防風林と各戸における防風林の2つの立場から議論すべきだろう。
植林は、次の世代のための長期的な計画であるべきだ。それを習慣化すべきだ。建築材料となる草(茅葺きの材料)や木の育成と植樹 や管理。十分な気候条件さえ整えば、度々行かないのだから村の最も不便なところでよい。
一つの家を作るのに木が何立方メートル必要か。そのために、村で何本植えておかねばならないか。現状の自然環境を壊さない中での 最良の計画を行う。そこにはすでに大きな自然との調和が出来ているからである。

永続性を持たせるための、村全体のデザイン、Infraの構築、住宅、道路に曲線を取り入れる。
直角を使わない−SteinerによるGeotheanom。直線は単純化のためにあり、直角は重苦しい。 単純化から、よい想像(創造)空間 は生まれない。不規則性や曲線から生まれる想像空間。デザインの多様性と好みの変化、それをどのようにデザインの永続性へとつなげて表現するか。新しい創 作活動だ。
わびとさびは日本独特のものか。各国でどのように受け止められているか。
図2 -3-1ように、ここでの議論をスケッチしてみた。



図2-3-1 桃源郷の構成の一例

桃源郷計画の基金調達について
持続可能な生活へ向かい出すには、早ければ早いほど、肉体的にも精神的にも都合がよいし、新しい工夫、発見がより多く見出せて、 歓喜の方向に向けてよりゆ とりが出来る。年齢的にも老後にゆとりが出来る。そのためには、持続可能に生きたいが資金のない人のために、財団を作り、グループを作ってヴォランティ アーで村づくりをしなければならない。
しっかりと科学的知識をグループで習得し、一定のコンセンサスのもとではじめる。これは大切なことで後の問題を複雑にしない。
先ず、最初の家庭に、次の日からでもそこに住める状態の家を建てる。そこに住みだす人は、次の人達の住まい作りに全面的に協力を する。この過程は、協力者がしっかりとした経験、知識を蓄える期間にもなり、良い村作りへとつながってゆく。
そこで育った人たちは、他の新しい村づくりに指導的立場で協力し、発展的に協力してゆける。そんな組織造りが必要だ。
しかし、最初の段階は一定の金を必要としよう。住宅の設計や、建設、風車発電や浄化槽は現在の世界では無料ではない。そのための 援助機関が必要だろう。
2つの島国を行き来して持続可能を基本理念とする桃源郷を創りたい。

資金作りの手段に次のパンフレットを作り寄付を募ることも考えている。
※KWでの米の作り
※尾関式浄化槽
※室内環境の総合評価を基にした住宅計画
※このホームページの各項を詳述したパンフレット
各方面からのご協力をお願いしたい。


(4) 他地域との共存(都市とは、国家とは)

他地域と物々交換を有効に行うには、他の近接地域との不足分を補い合って行くとい う態度が基本になろう。補い合える部分はそれら 同士で行い、さらに遠方だと、両地域が協力し合って調達に当たる。
物流について、Link、交流、Network、新しい流通システムで都市間を結ぶ。外から必要な商品の注文も情報システムにの せて、高次の場所へとりに 行く。現在の商店は番人に過ぎなく、彼らによる商品販売の制御もしにくくなろう。すなわち、不当な流通機構の搾取は取り除く事が出来る。
現在の道路に溢れる自動車はあまりにも多すぎる。1つには、職、住が遠く離れているからだ。また、分業が、多くのものを購買に よって入手させるようになっ ているから、物流のためにも多く使われている。持続可能になるとこれらが激減し、現在の日本の統計のように居住面積と同じ広さの面積が要るという現状は変 化しよう。
道路は、日射など住宅に必要な条件は緩和されるから、斜面を利用することも出来る。そして、各コミュニティをぬって走ればよい。 各コミュニティ内での道路は2,500m2の 中に計上した。しかし、都市機構の導入は、そのための面積も必要となるから、住宅計画のみには20%で十分でも、この種の道路とともに10%を加えて、人 間生活に供する面積は、全体で30%くらいにはなろう。また、最小限の工場にもその中から割り当てねばならない。分布した工場からの物流には、最適にコン ピューターで整理、集積された量を運ぶようにすれば、その頻度を軽減できよう。

各地の特に優れた能力者は、他の桃源郷と共同して、各村に還元されるべく作られた研究所に派遣される。ま た、地域にまたがる、さ らに大きな研究テーマは、中央に作られた研究所でその研究を行う。科学の進歩は絶えず求められねばならない。
マルチメディヤが知識の伝達機関になる。大学が知識を与えるのみではその必要性はなくなろう。

都市の機能やその役割を明確にして、それらとこの村の位置付を行う。先に村があって、その村にとって都市は どうあるべきかを展望 し、それと逆方向からも眺めてみて、双方からも検討する。
コミュニティが大きくなってゆく必要性は、少なくともそれによる共通のメリットが得られ、そこに創造的な場が生じ、切磋琢磨され ねばならない。つながりは必然的に質的にも異なり、緩やかなものになってゆこう。

現在の金銭欲に基づく発想、逃避的な享楽的な環境等は否定されるべきだ。都市のあるべき姿の一つは、文化、 芸術、科学、文学を提 供できるセンターであり、 それらを研究、進歩発展させる場所となろう。人間らしい生活の探求、文化、芸術などを求める場を創っていくことが基本にあって、経済や工学の進歩のみに誘 導されてはならない。
新製品やシステムの開発においては、人間生活にとって、何が大切であるかを絶えず念頭におき、それはいつまで使っていけるか、ま た、それに投入したエネルギーとも比較して検討せねばならない。
そして、文化は与えられるものではなく、創ってゆくものであり、そのために都市がその機能を持っていなければならない。都市へ向 かう交通機関は、そのために必要なのである。
日本は土地が狭いのではなく、狭いところに押し込まれているのだ。電鉄会社の責任だ。国鉄にはすべての人々に行き渡るようにとい う、崇高な理念があったのだが。

男女には別れが付きまとう。それまで2人で蓄積してきた財産は、そこを去る方にはポイントとして与えられ る。新しい相手が見つか ると、そのポイントが合流 される。コンセンサスを共有するコミュニティ内でそのポイントは、いつでも利用できる。すなわち過去に築いた経緯は新しい場所にも反映される。

近郊都市での計画
私は、集合住宅も4階を限度とすべきだと思っている。若い家族が上部に住めば、エレベータは不要だ。図2-4-1にその1例を示 すが、ここで議論してきた 一連の手法も適当に利用でき、計画論的に集合住宅にする意味をなそう。すなわち、各自が持ち寄る土地を4層にして使えるから、建坪の3倍の土地は、緑地と して使える。そこで野菜、果物などの生産は楽しめ、充足できる。ただし、穀類の生産は無理で他の場所から供給されねばない。また上水の供給も必要となろ う。
各戸が200m2持ち寄る と、4戸で800m2。そのうち、200m2を 集合住宅に、400m2を菜園(=25m2x16 人)に、200m2を果樹園にと配分でき、最後の 200m2は公園にもなる。



図2 -4-1 集合住宅の例

この程度の自給自足は出来ても、都市近郊では土地が十分得られないので、 Infraの助けが必要になる。上水の供給、交通機関に よる移動、主たる穀物などの供給が必要となる。
集合住宅が4層になったとすると、野菜や果物は、その共有地でまかなえるが、米などの穀物は近郊から調達しなければならない。農 作業を依頼しなければなら ない。これを受けて各村が余分に働く分を算出することになるが、これもハンディキャップをもった人たちへの、社会サービス、医療サービスの人々への、税金 にあたる余分な生産として計上した分に含めることになろう。

水力発電による電気は安定化のためのみに使う。風車発電では154watt(冷蔵庫80watt連続、テレ ビ160watt、 フード40watt、電灯 80watt、洗濯機200watt必要に応じて使う)必要として、36戸の集合住宅に対し3—4m/secの風に対して、直径 12・では3 台、9mでは6台。

鉄筋コンクリートの良い所は、熱容量が大きなこと。従って、外側断熱が大切になる。それが解決できると、そ の持続可能性への評価 は変わってこよう。
4層の場合、上層部はキャノピーと通風で、下層は木による影という計画が基本的態度となろう。
コルビジェのユニテは、鉄筋コンクリートの効率を求めた経済行為である。それがオフィスビルに利用されたのは皮肉なことだ。その 考えが日本ではオフィスビルからマンションへと使われた。そして、地震大国日本では、超高層建築が勢いを得た。
しかし、阪神大震災は、高齢者に多くの不幸を残すとともに、建物の地震に対する大きな不安を残した。建築技術者は、それに対し、 免振、制振と称して、超高 層への協奏曲は捨てていない。免振構造とは、地震動に対して各層が、逆位相に動くように柔らかくすることが基本である。風に対しても一定の応動をするか ら、私のように船酔いをしやすい人間には、そんな中で長時間生活や執務はできない。制振構造とは、各層が動いているときに、摩擦熱へのエネルギー変換をは かろうというもので、建物のマスがあまり大きくなると、立ち上がりがゆっくりで間に合わない。こうまでして高層化は必要なのだろうか。そして、大きな地震 動があった後には、非線形領域で残留歪が残る。次の地震に対してもつかどうかの保障はできない。超高層建築では、普通85%が線形応答、15%が非線形領 域で応答するという。現在の趨勢は、その15%に執着して議論がなされている。
1995年夏、Hanoberでの2000年Expoの準備のためのワークショップに招待された。その時、アメリカの建築事務所 から派遣された建築家に 会ったが、アメリカではすでに建物は、全人口を収容する以上に建設されてしまったという。建物の飽和状態だ。日本も似た状況に近づいていると推測されると き、はたして、超高層は必要だろうか。

Networkには奉仕の精神が必要だ。古きも新しきも含め、科学的、工学的な事実は全てプログラム化さ れ、何時でも検索してア クセスし、各自の計算にす ぐ使えるように格納されていなければならない(丁度、辞書を利用するような形の機能を持たせる)。例えば、太陽の位置が知りたいとき、緯度経度、年月日等 をいれれば、必要とするデータが返ってくる、厚壁の回折波が知りたければ、壁の寸法、音源、受音点の座標を入れれば受音点のレベルが求められるというよう に。それには全てのプログラムにしっかりした引き数の取扱いなど、多くが協力しあって行かねばならない。また、多くの測定系がanalogであることを考 えると、それらがうまくdigital化され、それら同士の行き来がうまくできるようにせねばならない。
Internetが個人の解放という点では、革命的であり、大きな利点があるが、一定の知識がないと解放されないということは、 広い範囲の人類全体への解 放ではない。Man-machineの確立をしっかりし、簡単に操作できる道具に仕上げられねばならない。コンピューターを触りたくない理由は何か。何か 恐怖感を感じるのは何故か。壊れるとまずいと思うのは事実である。また、直感に頼る人には特に苦手ではないか。一つ一つ組み上げてゆくのが嫌いな人は、特 にそうではないか。私もその部類だ。正直コンピューターが嫌いだ。もっともっとコンピューターは使いやすくならねばならない。
人のために、博愛主義のもとに、そのネットワークに情報をもたらせることは、世界の幸せにつながる道に違いない。地域毎に、そこ に根ざした持続可能を目指した教育プログラムを作り、Internetで公開してはどうだろうか。
しかし、その一方で、その分業が一般人に追従できないもの、職人技を含めて多くあることも忘れてはならない。それを丁寧に伝承す べく、次の世代に教えていくべきだ。
InternetやEmailを、個人が解放されるための手段として広めるのではなく、一つに集中させ、情報収集に使い、金儲け へと利用するのは、情報社 会の公平性から言って、避けるべきだ。公開性は、今後ますます大切になってこよう。また、国を越え、地域を越えて個人が解放される手段として発展している ネットワークを、ウィルスを作って複雑化させている存在は許せない。その防御のために、毎日なんと煩わされていることか。
ところで、人工衛星からの電波は、地球上の生物に悪影響を与えていないか。短い波長に対応するわれわれの気がつかない生き物、虫 のみでなく、細菌、バクテ リアなどが大きな振動を受けて死に絶え、生物間での大きな系が壊されているのではないか。懸念として述べておきたい。全体がそれに暴露された空間で実験す るのは難しいが、電波と逆位相の波を送る施設を作り、隣の空間と比較実験することが出来よう。

建築屋は、必ず書く図面の中に植栽を入れる。しかし、それについては、施工時に余り強く主張をしない、すな わち、深く考えて植栽 の計画をしていない。しか も、それをいとも簡単に消しゴムで消して変更しているが、もっと植栽の実際を知って書かないと意味がない。Kikuyuがよい例だ。消しゴムで消すほど楽 には取り去れないのだ。
現在の建築は、何も考えることがなくなった惰性の世界だ。建築屋もそんなどん詰まりに追いやられていることに、はっきりと反発 し、もっと自然を勉強するべきだろう。
コンクリートの囲いの中に人間を入れ込もうとする行為は、人間性を奪ってしまうことだ。都市計画という経済行為の先棒担ぎが、人 間として存在すべき場所 に、目くらまししている−これはまがい物だ。現在の狂気とも思える都市を造ってきた元凶であろう。枠に人間を入れてはならない。自然 と共にあ る場が出発だ。

化石エネルギーは明らかに枯渇することが分かっている。しかし、消費エネルギーの大きなビルを建て続け、そ こでは毎日莫大な量の エネルギーを使い続けてい る。そのことについて何等議論がまき起こらない。エネルギーの枯渇は、開発途上国が同様にエネルギーを使いだした現在、その日は突然やってこよう。その時 は、きっと大きな混乱に落とし込まれよう。人の責任に化そうと口汚くののしり合う様子が想像できる。その時すでに失われた生存への免疫力はさらに弱まり、 人間の価値観はどんどん低落し、差別も益々強くなってこよう。
このような現状を許してしまう今の社会体制は、どの様に手を付けて改革して行くべきか、その手法は見あたらない。やはり持続可能 型の生活様式を確立することから始めなければならない。
しっかりと個人が、家庭が、確立されたとき、村が意味を持ち、そして街、都市が必要となるのであろう。したがって都市は、その地 域を包含する文化、科学の集約された場であるべきだろう。活発な反芻が繰り返され、いきいきとした流れがなければならない。

国家は、このような各個人に基本を置く文化活動、科学的研究が、安全に平和に行われるために、外からはもち ろん、内部での迫害を 除去するために、機能しな ければならない。そして、世界の各国は、それぞれのIdentityを創り上げ、それぞれが切磋琢磨できる空間も創ってゆかねばならないだろう。

京都市がその将来計画について、1998年コンペを行って、広く世界から論文を募った。その時、私も応募し て町作りにについて考 える機会を得た。第5章にそのときの論文を載せた。一瞥願いたい。


(5) 次の世代への橋渡し

米つくりの項でも述べたように、一人ひとりの持続可能の経験が持ち寄られると、年 を重ねて得られる経験的知識と同等の知見が得ら れ、それだけ進歩の速度が あがり、より多くの人々が享受できる。各自の経験、知見を集結して、参照しあい、次の世代へ、その発展を委ねねばならない。

若い人達へ、これらの成果や結果を託す努力をする事は大切である。何故なら、私の考え方が議論の対象とな り、それがどのように形 を変えようと、そこに生き続けて行けるからだ。すなわち、たましいの世界を求めての課題の解決に、いつまでも参加して行く事が出来るのだ。

このプロジェクトが十分持続可能になった時、残る道具や器具について、さらに工夫をするとともに、それらが 持続可能に近づくよう に再使用、再利用の組織を考える必要があろう。守られるべき日本の伝統的農機具や木工器具。しっかりと調べて残さねばならぬ。

持続可能に向っても、経済が停滞するという懸念はなく、新しい多くの企業すら考えられる。それをこの理念を 否定する口実にはでき ない。
例;尾関式浄化槽、再利用のプラスチックによる同浄化槽、ソラークッカーやオーブン、コンデンサーバッテリー、風車発電にまつわ るものなど、さらには次節を参照されたい。
植生、合理的土地利用、など次の世代が享受できるものを、おしまずどんどん育てて行く思慮が必要だ。例;桧、杉などの建築用材、 田んぼや畑の造成、実験住宅の設備、など。

幼児教育について思うこと
今の教育は物質主義に歪まされている、幼児教育における環境問題の大切さの認識。持続可能を実施する親が、最高の教育者である。 教育を物質文明へ指向させるのではなく、持続可能を目指して築きあげねばならぬ。
人間らしい感情を呼び戻すために、その地における自然のもとに培われた文化を尊ぶ精神を教え具体的に伝える。

年を取ることは誰にとっても新しい経験だ。そして、人それぞれ、その様子は異なるものだ。そして、若いころ には思いもしなかった ことが、後々影響してくることも多々ある。
今年68歳、少しずつ年を感じてきた。以前から始まっていたのもあるし、最近、突然現れてくるものもあり、その経過を披瀝してお く。
老眼は、関西大学在職時から感じていた。ある時、教壇でしゃべっていて、突然、教科書の小さな字の表を見ようとしたときに気がつ いた。しかし、テニスもし ていたし、左眼がもともと近眼だったので、むしろそちらが補ってくれて日常的には不便を感じなかった。最近では、小さな文字が含まれた作業をするときに は、ゆるい老眼鏡をかけているが、かけたりはずしたりし、むしろかけない努力もしている。
3年ほど前に歯が痛くなり、当地の歯科医に診てもらった。歯周病にかかっており、4本抜くことを薦められた。大変なショックだっ たが、日本の中学時代の級 友の元歯学部教授に相談し、歯石歯垢を取ることから始めてはといってくれたので、この先、自分の歯で余生を送りたいと当の歯科医に話し、了解を得た。3ヶ 月に一回、歯垢、歯石を取ってもらったり、自分ではフロスをかけたり、電気歯ブラシで磨いたりと、大変な手間が増えた。けだし歯ばかりはいつも清潔にし磨 くことだ。
広い畑、田んぼを行き来するから、足腰は鍛えられていると思っていたが、どうやらそれも衰え気味だ。一念発起、少しジョギングを したい。
66歳の冬、しわが増えているのに突然気がついた。頬が少しコケ、ほほ骨が目立ちだした。クリームを付け出したが、日射を避ける ことにも努力をし始めた。50肩を防ぐ棒ふり体操、ストレッチ、と毎日することが増えてきた。(以上13/10/04)
最近は睡魔が時ともなしにおこり、よく横になって昼寝をする。(6/05)
50肩と右手中指のばね指が気になりだす。(10/05)
50肩、ばね指、歯肉炎、時ともなく肩こりがだんだんと慢性化してきた。先日、森田玄さん夫妻の訪問を受けた。その時、オーリン グなるチェック法で脾臓が 弱っていて、関節間でのリンパ液の伝達がうまく言っていない。緑の野菜を食べることをすすめられた。日本食に戻ることとも言われた。それに先立って、 Reflexologyをやる近くに住むKyokoさんには、カフェイン、アルコールを取るなとも言われた。ある意味で挑戦することが増えた。また、少し のミスも出来ないという緊張感も出てきた。そして、それらの忠告に従って完全ではないが実行し始めたが、夜の頻尿は、少し減ってきた。また顔色が良くなっ たといってくれる人もある。(26/03/06)。


(6) 残された今後の課題

電話帳を沢山積んでラップトップを乗せると、向きが自由に変えることが出来る。高 さの調節も出来る。電話帳の代わりによく似た大 きさで引き出しを作り、表面に少し摩擦を与えてやれば、便利な家具になろう。

バイオガス発生量の整理。

例えば、アボカドの皮を上手に乾かして、漆などの上薬を塗って食器にする。竹を切ったリングの上にそれをの せて安定させる。

NativetreesによるLandscaping,(1)日本庭園風に、(2)毎日のジョギング用に。

尾関式浄化槽の第3セクションの残渣は、水虫などの殺菌によいかもしれない。また、好気性に混ぜると殺菌さ れて堆肥が有効に働く のではないか。ストレスを 取り除くという意味になると思われる(EMG)。アルカリ性のため中和されストレスがなくなるのか。けだし嫌気性条件下での研究は大切だ。

酵素で人糞(のたんぱく質と思われる)を分解するという方法がフランスで行われているそうだ。その意味で尾 関式浄化槽には生ごみ が必要。すなわち、その酵素(Enzyme)の働きがあると思われる。

第2の雑草Couchgrassとの遭遇。学名;Agropyronrepens。日本では、ヒメカモジク サ、シバムギと呼ば れ、北米によく見られる雑草。堆肥によいか?ついでに、葉鞘褐変病の学名は?どこからこの地に紛れ込んだか。あるいはどこにでもある菌か。

ソラーパネルの普及は、日本では冬季の凍結が理由で遅れているという。それを防止するのに、
(1)冬の夜で夜間放射の大きそうなときには、断熱かつ表面が反射性、白か銀色の表面で覆ってやる。
注:夜間放射の大小を、気候と比べて調べる。雨の夜はどうか。水濡れに対する防御は入るのか。
(2)ソラーパネルは裏で断熱されているが、さらに高度に与える。
(3)寸法の調整で避ける方法はないか。

これらについてもやはり過渡応答をとかねばならない。

表面の凹凸を見つけるのに異なる大きさの球を転がし、その動きを調べることでその様子が分かろう。

水道の蛇口からの乱れた水の落下が、スプーンを裏返した上に穏やかに当たると、規則的な波を作る。スプーン の形状が線形的な形に 変換するのか。

ある場所が与えられると、そこに建てられるべき家について一定の快適性を与えるための熱環境的条件が決まっ てくるはず。設定条件 を多くの組み合わせについて計算し、定性的なコンセプトを抽出して、大まかな設計が出来るようにしたいものだ。
例えば、家の大きさについて小さな家に限られるという条件も出てこよう(よい季節にはドアーからバルコニーやデッキに出て空間を 延長すればよい)。
この時の開口の大きさ、壁の断熱性、熱容量、隙間量などを変数にして、簡単なモデルで数値計算をして、その選択ができるように、 まとめ上げる。

2006年の夏は、断熱された天井にソラールームへつながる換気口はつけないで、地下室の温度を(1)床を 通じての熱伝達、 (2)床換気口まわりでのヴェンチュリー効果、でリビングがどのように冷えるかを見る。(1)、(2)を分けて測れればよいが。
この方法が、うまくゆくとソラールームが不要になり、空調がしやすくなる。

年間を通じての取得エネルギーと使用エネルギーの変動の比較。どのようにこれを見て計画するか。ただし、 もっともっとでは駄目。

移動式温室を作って、冬、北側(太陽の照る側)の前へ移動できるような計画は?

木が集めるエネルギーには目を見張るものがある。アカシア、RadiataPineなど。直接燃やしてエネ ルギーにすること、そ して炭にすることはよく行われているが、燃やして発電することはあまり行われていない。各家庭で木を燃やしての発電機はどうだろうか。

ガスについて、便所側へ返ってくるガス、あるいは排気筒から出るのもバイオガスに違いはないが、台所で得ら れるガスとどのように 成分が違うか。

メタンガスは無尽蔵にあると思われる。それから水素を取るというのはよい考えだ。それを燃料電池に用いるこ とができる。日本では 具体的に発電機や、パソコンの運転に使われている。しかし、その間のエネルギー収支や、地球環境への負荷の点など検討すべき項目はある。
北海道大学触媒化学研究センター市川勝教授;牛の糞尿からメタンガスを作り、触媒を使ってベンゼンと水素に同時に変える。メタン を約750℃、約5気圧に して、彼の開発したセラミックス触媒と混ぜると、約15%が化学反応を起こしてベンゼンと水素に変わる。なお、ベンゼンは石油化学工業の基幹原料。水素は 燃料電池へ。無尽蔵にもあるといわれるメタンにこの触媒を適用すれば、これに必要なエネルギーと比べてどれほどのエネルギー収集となるか。た だし、決してヒエラルキーを作る手段に用いられてはならない。

葉緑素を作る過程の起電力が電池に利用されている。光合成の効率が主役なら、Kikuyuが利用できよう。

癌について、多変量解析、特に数量化理論2類を有効に適用して、それを克服するように頑張ろうではないか。

浄化槽を、一旦0paにして、その後の立ち上がりを見る。ガスの生成能力を数量的に押さえねばならない。

RammingPump 水の流れを利用して、水をくみ上げる。動力は不要。調査をすること。

夜間放射について
(1)夕方ソラーパネルのガラス表面は結露していた。
(2)ソラーパネルのガラス表面は早朝氷になっていた。
この現象は、黒色表面は太陽や天空の放射を大きく吸収するが放射もする。
(1)は、すでに黒色表面は低温である。
(2)朝さらに低温になる。空気温もマイナスだった。
ある時、外気温8度、寝室14度、ソラールーム11度だった。このときの夜間放射を議論すべき。

農業の持つ歴史と、工学の持つそれとには大きな違いがある。前者についてはすでにしっかりと確立されてきて いるからー近代農法が導入される前の農法をさしており、当然有機農法をさす。後者に対して持続可能性を見いだし、定着させねばならぬ。

地球の温暖化は石油の枯渇で急に変化するか。太陽のエネルギーでまかなわれている地球という大きな自然に とって、石油の持つエネ ルギーは、バイオマスとしてどの様に位置づけられるのだろうか。

嫌気性環境での研究が大切である。
・ 何がどう起こるのか。
・ 何が発生するのか。
・ どれくらいの期間それが続くのか
・ エネルギー源は何か。
・ 発酵とは何か。

現在検討中の課題を、ここに糸口を与えて書き残し、若者の参加、計算に期待する。
定式化、方法論の導入、説明、例、ソラーパネルのThermo-siphon

現在の学校教育における建築学は、人間が住むという原点を失っている。建築構造学における非線形現象の解析 等は次のまた次だ。

現在の住宅内での温度分布は、冬、地下室が12度、ソラールームで30度程度(温度差18度)になり、夏は さらに、16度、55 度、その温度差は39度と大きくなる。温度差発電などに利用できる興味のあるエネルギー源だ。

むらしているときの小さな火の供給エネルギーが、空気に取られて行く量(A)、沸騰させて真空断熱した時に 逃げていくエネルギー (B)を比べると、少なくともA>Bのようだ。丁寧に検討のこと。

夜間放射をしっかりと熱計算に入れること。でないと、ソラールームで、夜、周りの部屋より温度が下がる説明 が出来ない。
日中の正の放射吸収だけを蓄熱槽に取り込んでいる−すなわち、夜間は蓄熱槽の下部で温度が下がっても水の流 れは起こらないで、日中日の当たる ときのみThermo-siphonする−が、住宅の表面温度は、夜間、負の放射にさらされ表面から熱を取られている。
ソラーパネルのところでは、±の変化をするが、蓄熱槽へは+のみが与えられる。蓄熱槽の働きは、整流器と バッテリーをあわせたような役割をしている。

言葉ができて以来音のレベルは飽和していて、対数化せざるを得なくなった。この非線形的過程は純音でも広帯 域でも同じように働い ている。結局、それぞれの系の聴覚の過渡応答R(t)が異なっていると言えよう。

野外劇場舞台の隅々を使ってコーラス、楽器演奏を演出する。

光にも時間窓はあるはずだ。時間的対比(自己相関)もあろう。さらに熱にも時間窓があり、その結果と時間的 前後の対比を行いつつ (自己相関)、その時の感じを決めていると思われる。音においても時間窓をかけた後、その前後との対比は行われていよう。
3つの環境要因における共通点を議論するのは面白そうだ。時間窓と(その結果の)自己相関。

上の狭まくなった電気ポットの底に熱い湯が残っている時、ぬるま湯をポット一杯になるまで入れると、瞬時に 熱い湯が上部に上がっ てきた。下が広いのが理由のようだ。HotWaterCylinderの設計に利用できそうだ。

(年、月は、宇宙との関連で了解できる。しかし、週、9時から5時−これも季節によっ て変えるべきではない か−までは、人間が作り出したのではないか。)

痛風になって、毎日薬を飲まねばならない事を考えよ。糖尿病になって、毎日食事制限をしなければならなくな る事を考えよ。高脂血 症で生きる事をまっとうで きない事を考えよ。酒を飲むな!!!いったん病気になった時の苦しみを想像しろ。それを防ぐのが智恵だ。柔軟体操を毎日する事

血液型による性格の相違はあるような気がする。A,B.O,AB間の距離が見出せると、お互いに遠い血液型 でのF1のような効果 が得られるかもしれない。少し神を冒涜する議論かもしれないが。


む すび

自分の死後の世界へ飛躍できるように生きているのだ。人のためではない。だから人 に押し付けてはならない。死後の世界への連続性 を求めていきることなのだ。
持続可能な生活→自由が得られ、解放される→喜びのある生活→そして、 死後の世界。そこにも新しい展開があると信じて、それをイメージしなければならない。
持続可能な生活に基づく個人主義は、人間の最後の大きな課題−死後の世界を解く−ため に必要な解放と開放の場だ。

持続可能の実現において、太陽がある限り生きて行けるという表現は、物質主義の源であり、根元だと言える。 それを乗り越え精神的 発展を得なければならない。それは次の空間への発展的展開のことである。
地球上の人間や生物が生きていく永い歴史の時間的一部分を生きていることを、認識せねばならぬ。だから時間的、空間的に異なった 場があると考えられる。

我々個人一代だけの人生ではない。それは、続けて次の世代の精神的発展へと継承されねばならない。何故なら 魂の世界の解明を求 め、世代を越えて協力しあっ て行かねば解けないからだ。結局、暗黙の内にそれに影響を与え、自分の足跡を残しているのだが、別の見方をすれば、神は、我々に地球に返り、その追求の継 続を指示するかも知れない。そこに輪廻転生の可能性が伺える。
しかし、その議論においては思考が先行していて、具体的な持続可能の実現を伴っていない。
私は過渡的な場を求めているのだろうか−人間は昔へ返らねばならないのか。違うと思う。しっかりと長く生き る場を、持続可能的に生きて進歩を目指したいからだ。
ここで紹介した持続可能なる生き方といっても、実は非常に低級なレベルの生き方である。すなわち、太陽という偉大なるエネルギー 源からそれを享受して生き延びるわけだから、何ら難しいことではない。
では、魂の世界はどうだろうか。目に見えるエネルギー源はあり得そうにない。そこでは他からの供給なしに生きているのではなかろ うか。この過程は、進化以 外の何者でもない。この様な進化の過程が持続可能な生活において、残る45億年内に解かれるべきことが訴えられているように思う。

あまり合理化、高能率化に視点を置くと、現在と同じ議論になりかねないので、十分注意が必要である。すなわ ち、質素に生きること を忘れてはならない。それ は安い、それだけではだめ。安くしかも環境への負荷を小さくし、豊かな創造性のある空間への憧れが、概念として無ければならない。

食生活においては、美味しさを求めることばかりに走らないで、生きるための栄養のバランスを先に考え、そし て、質素に。生きるこ との意味を考えるために生きているのだから。しかし、収穫した食料をもとに、最大限の味を求めていくことは大切で、それは歓喜の一つだと思う。

鳥や魚や獣、花や木や草、風や海や川、この大きな自然の中で、太陽のエネルギーは正しく分け合って使ってい かねばならない。歓喜 は神からのインパルスとい われる。その神の創っている空間の存在と維持は絶対的だ。そこに質素に生きるという概念が生まれる(15,000倍分を全部人間が使って、贅を尽くす方向 への展開は戒めておかねばならない。むしろ、15,000倍ものエネルギーが地球を構成しているという偉大さを感じるべきであろう)。しかし、人間の使用 するエネルギーが、その1/15,000という事実から、持続可能な生き方が、十分実現できるという勇気を得てこなければならない。

若い人達に十分教え、次の代へ託す準備も必要だ。
太陽エネルギーをむさぼり食っているという点では、人間は最もどん欲だ。有機物に群がる最も活発なばい菌に例えられよう。他の生 き物の生き方の崇高さに学ばねばならない。子供のころから教える必要がある。

人間が大自然を見えない様にしている。人間と宇宙との関係は、人間が存在できる基本的なものである。星空も そうだし、希少種の 持っている仕組みも、その背 景も知り得ないまま、絶滅させているということは、計り知れない損失になっているという認識−その種がかもし出す美は、二度と見られ ない、そ の悲しみは何と大きいことか−が失われてしまった。

気象に影響された生活へと、生活様式が変わっていくであろう。しかし、それは自然への語りかけの場であり、 それから勉強の機会が ふえ、自然にさらに近づき、多くを知ること−いわゆる悟りの世界へ近づくことになろう。

持続可能の立場からのみで議論を固定的にしてはならない。科学の進歩はとどまることなく進めねばならない。 しかし、あくまでも自 然の中からの出発であり、 その立場を貫かねばならぬ。勇敢に、知的に、科学を展開しなければならない。その科学といっても人間の浅はかな議論に過ぎないが。

あらゆる生物は太陽からエネルギーをもらって、基本的には生きてゆける。基本的には何も難しくはない。人間 以外の生物はそうして いる。しかし、現実の社会 では、持続可能な生き方の確立はたやすくはなく、まだもっと多くの人々の協力が必要である。そして、それが確立できると素晴らしい。

LowHierarchyのもと個人主義の社会が実現すると、権力機構は構成できない。そんなところに権力 闘争は生じない。あら ゆる戦争、権力闘争をやめて、太陽の消滅まで生き続ける努力を直ちにすべきだ。

この持続可能の概念が広がってゆくと、一時的に混乱が生じるかも知れない。しかし、人間の英知は素晴らしい 方向を見出そう。こと に、中年、老年は更なる人生を考え、勇気を持って改革していこうではないか。